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メッセージ集:2013年3月

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体調が悪かったり、介護が必要だったりして教会に集えない方々のために、毎週の礼拝メッセージの要約の掲載を行っています。教会に行ってみたいけど、いきなり行くのはちょっとな、という方も、ぜひ覗いていってもらえればなと思います。

でもやはり、できることならば教会に来て礼拝にでる方が、メッセージも聞きやすいし恵みも違ってきます。どうしようかなぁと迷っている方、ぜひ一度教会にも来て下さいね!

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2013年3月31日

「墓が示した偉大な勝利」 ルカ24:1−12 金井辰雄師

週の初めの日の明け方、女たちは香料を持って墓に行きました。すると、石が転がしてあり、イエスのからだも見あたりませんでした。そのとき、まばゆいばかりの衣を着た二人の人が現れ、イエスの復活を告げます。御使いは、主の復活について、意外な事実を語るのではなく、主が語られたみことばを「思い出しなさい」と言ったのです。主は、何度も「人の子は殺され、三日目によみがえる」と語られました。女たちは、主のことばを思い出しました。そのことばの通り、主は死に打ち勝ってよみがえられたことを確信したのです。さっそく、女たちは使徒や他の人たちに話しましたが、彼らは全く信じませんでした。彼らは、女たちのことばをただの「たわごと」(ばかばかしい話)だとして信用しなかったのです。それは、弟子たちの不信仰をそのまま物語っています。2000年経った今も、復活のことを言うと笑われますが、当然かも知れません。復活の出来事は、人間の理性では理解できないのです。しかし、それを信じていくことによって、初めて復活の主に出会えるのです。
<聖書引用箇所>マタイ28:8−9(p−169)

「ここにはおられません。よみがえられたのです。まだガリラヤにおられたころ、お話しになったことを思い出しなさい。」   ルカ24:6

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2013年3月24日

「ゲッセマネの園での苦祷」 マルコ14:32−39 矢代博常師

神の御子が人の子として、私たちと同様の体をもって、この世に来られたのは、私たちすべての者の罪を贖うために、身代わりの死を遂げるためであった。それは主イエスの使命であり、弟子たちに予告していた。ところが、ゲッセマネの園でのイエスの姿は、それまでの言動を打ち消すような言動を見せた。死を目前にして、悲しみと恐れとで苦悶している。神の子としての栄光と権威と力とを発揮せずに、人類の罪を背負われた。それは罪人が受ける罪責と刑罰と呪いがどれ程悲惨なものかを示している。更には、御父と御子の間にある命の絆が切断された事を意味している。ここにおいて、霊的な事実としての身代わりの死を受理したのである。これが苦祷した理由であろう。

「またこう言われた。『アバ、父よ。あなたにおできにならないことはありません。どうぞ、この杯をわたしから取りのけてください。しかし、わたしの願うことではなく、あなたのみこころのままを、なさってください。』」   マルコ14:36

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2013年3月17日

「新島襄と聖書」 創世記1:1−5、ヨハネの手紙第一4:9−11 岡部高明師

新島襄 (にいじまじょう) 同志社創立者。1843.2.12.(天保14.1.14)-90.1.23
安中藩の祐筆民治・とみの長男として江戸藩邸に生まれる。幼名七五三太、アメリカ在学中はジョセフ・ハーディ・ニーシマとも称したが、襄をもって通した。1857年元服して祐筆補助役、その後、軍艦操練所で数学、航海学を学び、63年以降は蘭学から英学に切換えブリッジマンの「大美聯邦志略」、漢訳聖書を読み、アメリカならびにキリスト教にひかれた。64(元治1)年7月、アメリカ船で函館から海外に脱出、65年7月ボストンに到着、船主ハーディ夫妻の好意によりフィリップス・アカデミーに入学、66年12月31日アンドーヴァー神学校付属の教会で洗礼を受けた。67年にアーマスト大学に入学、70年に卒業、次いでアンドーヴァー神学校に進み、74年7月特別コースを卒業。在学中の72年3月−9月、岩倉遣外使節に随行、アメリカ、ヨーロッパの学校教育制度の調査を担当。74年9月24日ボストンのマウント・ヴァーノン教会で按手礼を受け、アメリカン・ボードの宣教師補の資格で宣教師としての任命書を受けた。同年10月ラットランドにおけるアメリカン・ボードの年会に出席して、日本にキリスト教主義学校の設立を訴え、その支持を得て10年4カ月ぶりに帰国。75年11月29日京都府顧問山本覚馬、アメリカン・ボード宣教師デーヴィス、J.D.の協力で同志社英学校を創設。76年1月デーヴィスの司式で山本の妹八重子(新島八重)と結婚。77年に女学校を開校、次いで同志社病院、京都看病婦学校を開院、開校し、仙台にも同志社の分校として東華学校を開く。88年11月「同志社大学設立の旨意」を全国に発表して、国民の力を借りて私立同志社大学の設立を訴えたが、設立運動に東奔西走するうち、病気のため神奈川県大磯で客死した。(「日本キリスト教歴史大事典」より抜粋)

「初めに、神が天と地を創造した。」   創世記1:1
「私たちが神を愛したのではなく、神が私たちを愛し、私たちの罪のために、なだめの供え物としての御子を遣わされました。ここに愛があるのです。」   Tヨハネ4:10

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2013年3月17日

「神の主権と人間の勘違い」 民数記22:1−35 金井つる師

バラクはイスラエルがエモリ人に大勝利した、といううわさを聞いて非常に恐れました。次は自分たちが侵略されると思ったからです。
1 そこでバラムを招いてイスラエルを呪ってもらい、勝利を得ようと考えました。しかしバラム自身に祝福する力があるのではありません。また神の祝福は人数の多さや礼物によって得られるものではありません。この点を勘違いしていました。
2 バラムの勘違いは、自分の都合の良いように神が御心を変えてくださるかもしれないと思ったことと、強い行動に出れば道が開かれると思ったことです。「あなたの道がわたしとは反対に向いていたからだ」と言われるほどの勘違いでした。
3 大切なことに目が開かれて、初めて主の使いが見えるようになり、主の命令をもう一度考える状態に引き戻されました。そして改めて御心に従う決心をしました。
 私たちも霊の目を開いていただき、見るべきものを見させていただき、御心にお従いしましょう。

「主の使いは彼に言った。『なぜ、あなたは、あなたのろばを三度も打ったのか。敵対して出て来たのはわたしだったのだ。あなたの道がわたしとは反対に向いていたからだ。』」   民数記22:32

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2013年3月10日

「ピラトの裁判」 ヨハネ18:28−19:16 金井辰雄師

イエスは、最後にピラトの官邸に連れてこられました。イエスを十字架刑にするためにはこの人の判決が必要だったからです。ピラトは、イエスが無罪であること、ユダヤ人たちが妬みからイエスを死刑にしようとしていることを見抜いて、何とかイエスを釈放したいと考えました。そこで、過越の祭りには、犯罪人を一人釈放するという慣例に従って、イエスを釈放しようとしました。しかし、その期待は外れました。次に、イエスを鞭打ちにすることを考えました。痛めつけられたイエスを見れば、ユダヤ人たちもこれ以上の罰を望まないと考えたのです。しかし、この期待も裏切られ、祭司長たちは「十字架につけろ」と叫んだのです。結局、群衆の声に屈服し、イエスを十字架にかける決断に追いやられました。ユダヤの指導者たちは、イエスを十字架につけ、律法ののろいを受けた者に仕立て上げ、イエスがメシヤであることを期待していた人たちの希望を打ち砕こうとしました。しかし、イエスはその十字架を通してこの世にまことの希望を与えられたのです。

「わたしは、真理のあかしをするために生まれ、このことのために世に来たのです。真理に属する者はみな、わたしの声に聞き従います。」   ヨハネ18:37

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2013年3月10日

「イエスの自己証言と謙卑」 ルカ2:40-52 岡部高明師

タルムードの「ピルケ・アボト」(祖先の格言)によると、家庭教育は「5歳で宗教の勉強を始め、10歳で伝統の研究に専心し、13歳で主(ヤハウエ)のすべての律法を知り、その戒律を実践に移すべきである。15歳で知識の完成が始まる。」とされており、ヨセフも尊重していたでしょう。成人(バル・ミツバ)となる13歳を前に、12歳のイエスは過越の祭りの期間中に神殿内で開かれていた公開講座の質疑応答の中で卓越した知恵を示して高名な教師達を驚かせていました。連れ戻しに来た両親に対して、イエスはまことの神を父と呼び、自らその子であると証言されました。イエスは神の子としての自覚的証言を持ちながら、ナザレに戻り、30歳まで大工として地上の両親や家族に仕えたのです。

するとイエスは両親に言われた。「どうしてわたしをお捜しになったのですか。わたしが必ず自分の父の家にいることを、ご存じなかったのですか。」   ルカ2:49

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2013年3月3日

「罪を治められなかった悲惨な結果」 創世記4:1−15 金井辰雄師

主は、アベルとそのささげ物に目を留められましたが、カインとそのささげ物には目を留められませんでした。それでカインはひどく怒り、顔を伏せました。そこで、主は、カインの怒りを見抜き、その思いを治めるべきだと戒められました。しかし、カインは怒りにかられて、結局は人類最初の殺人を犯してしまいます。神の警告を無視し、心にある罪を悔い改めないでいると、その罪は増大し、具体的な罪の行動を生むようになります。その結果、カインは地上をさまよい歩くさすらい人にならなければなりませんでした。神様は、カインにこのような人生を望まれたわけではありませんでした。しかし、カインは最後まで悔い改めず、神の前から去り、御顔から隠れる生き方を選択したのです。私たちも、悔い改めることがないならばカインのような人生になってしまいます。しかし、私たちはすでにイエス様によってすべての罪が赦されています。恐れずに罪を告白し、神様と顔と顔を合わせて生きる人生を送りましょう。
<聖書引用箇所>ヘブル11:4(p−438)

「 ああ、あなたはきょう私をこの土地から追い出されたので、私はあなたの御顔から隠れ、地上をさまよい歩くさすらい人とならなければなりません。それで、私に出会う者はだれでも、私を殺すでしょう。」   創世記4:14


◇過去の礼拝メッセージ要約

※2013年の礼拝メッセージ要約
 1月  2月

※2012年の礼拝メッセージ要約
 1月  2月  3月  4月  5月  6月  7月  8月  9月  10月  11月  12月

※2011年の礼拝メッセージ要約
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※2010年の礼拝メッセージ要約
 1月  2月  3月  4月  5月  6月  7月  8月  9月  10月  11月  12月

※2009年の礼拝メッセージ要約
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 4月  5月  6月  7月  8月  9月  10月  11月  12月

※2003年の礼拝メッセージ要約
※2002年の礼拝メッセージ要約
※2001年の礼拝メッセージ要約


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