体調が悪かったり、介護が必要だったりして教会に集えない方々のために、毎週の礼拝メッセージの要約の掲載を行っています。教会に行ってみたいけど、いきなり行くのはちょっとな、という方も、ぜひ覗いていってもらえればなと思います。
でもやはり、できることならば教会に来て礼拝にでる方が、メッセージも聞きやすいし恵みも違ってきます。どうしようかなぁと迷っている方、ぜひ一度教会にも来て下さいね!
2012年11月18・25日
「心配するのではなく」 マタイ6:24−34 金井辰雄師
文明は、少ない労力で多くの楽を手に入れることを追求して、成功してきたと言ってもよいでしょう。しかし、それで思い煩いや心配は少なくなったかと言うと、むしろ苦労の経験が少ないために、人間がかえってひ弱になり、思い煩うようになっているのではないでしょうか。 主イエス様は、思い煩いから解放される道を教えられました。主は、空の鳥や野のゆりを例にあげて、鳥を養い花を美しく装ってくださる神様は、鳥や花以上に私たちのことを愛して、必要を満たしてくださると教えられました。まことの神様を知らない人ならともかく、心配や思い煩いは、性格の問題ではなく、信仰の問題であると言われました。心配は、無益であるばかりか危険です。ですから、私たちがすべきことは心配ではなく、神様を信頼することなのです。心を神様にご支配していただき、神様の願われる正しいあり方を第一にしていくなら、心は平安であり、それだけでなく、すべての必要が備えられるのです。
<聖書引用箇所>ピリピ4:6(p387),ロ−マ3:20−26(p293)
「だから、神の国とその義とをまず第一に求めなさい。そうすれば、それに加えて、これらのものはすべて与えられます。」 マタイ6:33
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2012年11月18・25日
「あなたの手にあるそれは何か」 出エジプト記4:1−9 金井つる師
神さまはイスラエルの民をエジプトから連れ出すように、モーセを召されました。エジプトで奴隷として扱われ、苦しんでいる民の叫び、痛みを主はご存知でした。
1、モーセの不安。その召しに対してモーセの反応は非常に否定的でした。「彼らは私を信じないでしょう。」 40年前、彼は自分の手でイスラエルの民を救い出そうとしたことがありました。しかし、失敗に終わりました。
2、あなたの手にあるそれは何か。神さまは問いかけられました。モーセは答えました。「杖です。」 羊飼いなら誰でも持っている杖に、主は目を留めてくださり、それを用いてご自身の栄光を現わしてくださいました。
3、神の召しに応答するモーセ。彼は自分の弱さや無力さを徹底的に知りました。このことを分かった時が、準備された指導者、神の器として用いられる時です。ついに主の召命に応える決断をしました。
神の杖は主が共にいてくださるしるしです。私たちも臨在の主を覚えて、神の召しに応答していきましょう。
「主は彼に仰せられた。『あなたの手にあるそれは何か。』彼は答えた。『杖です。』」 出エジプト記4:2
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2012年11月11日
「罪を犯したダビデ」 Uサムエル11:1〜27 金井辰雄師
イスラエルの王となったダビデは、順風満帆と思えるような時、人生最大の罪を犯してしまいました。他人の妻を自分のものにしたいという欲求に負け、なんと妊娠までさせてしまったのです。 何かを達成したときというのは危険です。心に隙が生じやすいからです。そして、罪を隠蔽するために計画殺人までしてしまいました。主は、預言者ナタンをダビデのところに遣わしました。ナタンは、貧しい人から大切な子羊を奪い取る裕福な男の話をしました。それを聞いたダビデは、「そんなことをした男は死刑だ」と怒りましたが、すかさずナタンが言いました。「あなたがその男です」。 ダビデの偉大さは、預言者ナタンに罪をじかに指摘された時、 否定も弁解もせず、その場で罪を認め、告白したことです。ダビデは、このときの経験を詩篇51篇で、罪の葛藤と苦悩、そして、真実な罪の告白、主の恵みと憐れみ、罪を赦された喜びを歌っています。悔い改めたダビデは、主に従った者と認められています。 罪を告白して悔い改める者を、主は偉大な者にしてくださるのです。
<聖書引用箇所>コロサイ3:5(P392)、詩篇51篇(P954)、U歴代34:2(P787)
「ヒソプをもって私の罪を除いてきよめてください。そうすれば、私はきよくなりましょう。私を洗ってください。そうすれば、私は雪よりも白くなりましょう。」 詩篇51:7
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2012年11月11日
「放蕩息子の兄と父」 ルカ15:25−32 岡部高明師
今日は罪を悔い改めて実家に戻ってきた弟の祝宴を苦々しく思い、家に入ろうともしない兄息子と、彼をなだめる父親との対話を学びます。兄息子は放蕩した弟息子とは対照的に、父親と長年共に住んで、畑を守り、父親の戒めを守ってきた模範的な息子でした。しかし今、弟息子を無条件に赦し、子どもとして迎えた父への不平不満を並べ、弟息子の不行跡を非難しています。これは主の教えに従って悔い改めた取税人・罪人と食事をともにしている主イエスに対するパリサイ人・律法学者の非難にも通じるものです。父親にたとえられた真の神の愛の約束と祝福を忘れて自分の義を立てようとすると、私たちの交わりの中でも兄息子のようになる危険性があります。
「父は彼に言った。『子よ。おまえはいつも私といっしょにいる。私のものは、全部おまえのものだ。だがおまえの弟は、死んでいたのが生き返って来たのだ。いなくなっていたのが見つかったのだから、楽しんで喜ぶのは当然ではないか。』」 ルカ15:31,32
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2012年11月4日
「まず、祈ってから」 ネヘミヤ1:1〜2:8 金井辰雄師
ネヘミヤは、ユダから来た親類のハナニからエルサレムの惨状を聞かされた時、喪に服し、断食して、神の憐れみを乞い願いました。ネヘミヤは、神のことばを根拠にして、イスラエルへの憐れみと回復を訴えました。神は、ご自身のことばを誠実に履行してくださる方だからです。ネヘミヤは、王から「何を願うか」と問われたとき、天の神様に祈ってから答えました。どんなに急ぐことがあっても、まず祈ってから行動したのです。王は、エルサレムを再建するために、ネヘミヤを快く送り出してくれました。また、そのための便宜もはかってくれました。神様がどのように答えられるか予想は出来ませんが、まず祈ることから始めましょう。そして、日々の生活の中に祈りの答えを見出して、感謝しつつ、ますます祈る者となりましょう。
「すると、王は私に言った。『では、あなたは何を願うのか。』そこで私は、天の神に祈ってから、王に答えた。『王さま。もしもよろしくて、このしもべをいれてくださいますなら、私をユダの地、私の先祖の墓のある町へ送って、それを再建させてください。』」 ネヘミヤ2:4、5
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