体調が悪かったり、介護が必要だったりして教会に集えない方々のために、毎週の礼拝メッセージの要約の掲載を行っています。教会に行ってみたいけど、いきなり行くのはちょっとな、という方も、ぜひ覗いていってもらえればなと思います。
でもやはり、できることならば教会に来て礼拝にでる方が、メッセージも聞きやすいし恵みも違ってきます。どうしようかなぁと迷っている方、ぜひ一度教会にも来て下さいね!
2012年2月19・26日
「ナアマンの試練」 U列王記5:1−19 金井辰雄先生
ナアマンはアラムに勝利をもたらした英雄でした。ところが、そんなナアマンも病には勝てず、ツァラートに冒されていました。しかし、幸いにも神の預言者エリシャのことを知って、エリシャを訪ねます。彼は、エリシャが直接手を置いて祈り、治してくれることを期待していました。ところが、エリシャは直接応対せず、使いを通して「ヨルダン川へ行って七たび身を洗いなさい」という指示を与えたのでした。ナアマンは怒って帰途につきますが、しもべたちに説得され、思い直してヨルダン川へ行って七たび身を浸しました。すると、ツァラートが治って、幼子のようなきれいな肌になったのです。ナアマンは、この試練を通して神に出会い、神に対する理解と信仰が与えられ、自分の国に帰って行きました。彼が悟ったことは、神が唯一であること、その神のみを礼拝すべきこと、偶像礼拝を避けるべきことでした。 試練には、意味があるのです。それを教師として、受け止め、学ぶことが出来るなら幸いです。
<聖書引用箇所>ヤコブ4:6(p449)、ヘブル9:27(p435)、詩篇119:71(p1030)
「そこで、彼はその一行の者を全部連れて神の人のところに引き返し、彼の前に来て、立って言った。『私は今、イスラエルのほか、世界のどこにも神はおられないことを知りました。』」 U列王記5:15
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2012年2月19・26日
「神の賜物によって立ち上がる」 Uテモテ1:1−18 金井つる先生
テモテはパウロの同労者、協力者として主に仕えました。しかし、パウロは福音の故に牢に入れられ、テモテの働きは困難を極めていました。パウロは彼を励ますためにこの手紙を書きました。
1、神の賜物を、再び燃え立たせてください。困難や迫害のために、臆病かぜに吹かれてはならない。恐れや不安に勝利させてくださるのは、聖霊の働きである。聖霊さまを燃え立たせてください。
2、苦難を恥じてはいけない。「神の力によって」福音のために苦しみをともにしてください。主を証することや主の囚人であることを恥じてはいけない。
3、キリストに忠実であれ。サタンの巧妙な誘惑や働きを、私たちは退けなければならない。私たちには、力と愛と慎みの霊が与えられている。もう一度燃え立たせて頂き、神の力によって福音宣教に励みましょう。
「神が私たちに与えてくださったものは、おくびょうの霊ではなく、力と愛と慎みとの霊です。 」 Uテモテ1:7
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2012年2月12日
「ベテスダの池で」 ヨハネ5:1−18 金井辰雄先生
エルサレムに上って行かれたイエスは、ベテスダの池で38年間病気にかかっている者に会われ、「よくなりたいか」と問われました。私たちにとって、悪い状態から抜け出したり、苦難を乗り越えたりするために最も大切なことは、最後まであきらめないで、よくなりたいという意志を取り戻すことです。そして、イエスが「起きて、床を取り上げて歩きなさい」と命じられると、驚くことに彼は主のことばを信じて立ち上がることが出来たのです。ところがユダヤ人たちは、安息日の定を破ったとイエスを非難します。律法の精神は、罪人を無視することではなく、あわれむことです。自分を罪人だと思わない人は、自分自身が病人であることを知らないため、他の人をさばいて苦しめてしまいます。38年間も病気を患っていた人が迷信ではなく、イエスのみことばに従っていやされたのです。イエスのみことばは、勧めではなく命令です。信じて従うなら必ずその通りになるのです。
<聖書引用箇所>エレミヤ17:21−22(p1275)、マタイ18:21−35(p37)
「イエスは彼に言われた。『起きて、床を取り上げて歩きなさい。』」 ヨハネ5:8
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2012年2月12日
「パリサイ人の祈りと取税人の祈り」 ルカ18:9-14 岡部高明先生
主は「自分を義人だと自任し、他の人々を見下している者たち」の例であるパリサイ人の得意げな祈りと、見下げられている取税人の短い祈りを対比させて、「この人が、義と認められて家に帰りました。パリサイ人ではありません。」と教えられました。両者の祈りの違いは何でしょうか、その違いはどこから来るのでしょうか。自己義認は「神または神の御心(要求)に対する私」ではなく、「他人と比較しての私」という視点から生まれます。主イエスの贖いを信じることで「義と認められた」私たちですが、パリサイ人のような思いで神の前に立つことがないように心しましょう。
「あなたがたに言うが、この人が、義と認められて家に帰りました。パリサイ人ではありません。なぜなら、だれでも自分を高くする者は低くされ、自分を低くする者は高くされるからです。」 ルカ18:14
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2012年2月5日
「向きを変えて出発せよ」 申命記1:1−40 金井辰雄先生
申命記は、カナン入国前に、モアブの平原でなされたモ−セの3つの説教の記録です。 主題は、1.民の方向性(1−4章) 2.約束の地で守るべき戒め(5−26章) 3.祝福とのろい(27−30章)について語られています。 イスラエルがエジプトを出て40年が経った年の11月1日に、モ−セは、神が所有せよと命じられた地の境界と方向を示し、イスラエル自らがその地を征服しなければならないと語りました。 彼らがエジプトから救い出されたのは、まさにそのためだからです。 また、モ−セはさばきつかさたちの選出と定義、カデシュ・バルネアでの不従順とそれによる敗北を回想しながらカナンで神の国を実現するための基礎を提示します。 モ−セは、人々に信仰と従順の道を歩むように訓戒し、神様が与えてくださった使命にイスラエルが再献身するように呼びかけたのです。 みことばに聞きしたがって、義を行うとき、約束の地を所有し、その地で神の国を実現することが出来るのです。
<聖書引用箇所>マタイ28:19、20(P63)、 ヘブル11:6(P438)
「私たちの神、主は、ホレブで私たちに告げて仰せられた。『あなたがたはこの山に長くとどまっていた。 向きを変えて、出発せよ。そしてエモリ人の山地に行き、その近隣のすべての地、アラバ、山地、低地、ネゲブ、海辺、カナン人の地、レバノン、さらにあの大河ユーフラテス川にまで行け。』」 申命記1:6、7
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