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メッセージ集:2009年3月

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体調が悪かったり、介護が必要だったりして教会に集えない方々のために、毎週の礼拝メッセージの要約の掲載を行っています。教会に行ってみたいけど、いきなり行くのはちょっとな、という方も、ぜひ覗いていってもらえればなと思います。

でもやはり、できることならば教会に来て礼拝にでる方が、メッセージも聞きやすいし恵みも違ってきます。どうしようかなぁと迷っている方、ぜひ一度教会にも来て下さいね!

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2009年3月29日

(教団の合同聖会のため、ビデオ礼拝としたため「メッセージ集」の更新はお休みです)

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2009年3月22日

「未来は今日の決断で変わる」 ルツ1:1−22 金井辰雄先生

ナオミの家族は、飢饉のためモアブの地へ行って住むことになりました。ところが、そこで夫の死、息子たちの死という不幸に見舞われます。そのような中で「主がご自分の民を顧みて彼らにパンを下さった」6節と、知らせを聞いたナオミは、2人の嫁を連れてユダに帰ろうとしました。しかし、嫁たちの将来を考えてモアブに帰るようにと勧めます。オルパは、別れを告げてモアブに帰って行きますが、ルツは「あなたの民は、私の民。あなたの神は、私の神。」と言って、どこまでもナオミに従って行くと覚悟を決めていました。ルツの信仰は、ナオミと生活する中で芽生え育っていたのでした。やがて、二人は神様のご計画の中で全く想像も出来ないような大きな慰めを得ることになります。未来は、今日の決断で変わるのです。

「ルツは言った。『あなたを捨て、あなたから別れて帰るように、私にしむけないでください。あなたの行かれる所へ私も行き、あなたの住まれる所に私も住みます。あなたの民は私の民、あなたの神は私の神です。 あなたの死なれる所で私は死に、そこに葬られたいのです。もし死によっても私があなたから離れるようなことがあったら、主が幾重にも私を罰してくださるように。』」  ルツ1:16,17

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2009年3月15日

「信仰の回復と成長」 創世記43:1−34 金井つる先生

消費一方の厳しい生活の中で、ヤコブは再び行動を強いられるようになりました。「さて、その地でのききんは、ひどかった。」とあります。しかし、このような大変な災いの中で、父ヤコブの信仰が回復して行きました。「全能の神が…」と祈るべき祈りに導かれて行ったのです。また、ユダの成長の姿も見ることが出来ます。かつてヨセフを売ろうと提案し、嫁タマルのことでは大きな失敗をしました。そのユダが命をかけて一族の救いのために立ち上がったのです。また、ヨセフも和解へと自分の成すべきことを成して行きます。ヨセフの兄弟たちの初めの頃の罪ある判断は決断は、明らかに間違っていました。しかし、それによって神のみわざが妨げられたり、邪魔されることはありません。私たちをどこまでも愛して下さる「全能の神」なのです。

「全能の神がその方に、あなたがたをあわれませてくださるように。そしてもうひとりの兄弟とベニヤミンとをあなたがたに返してくださるように。私も、失うときには、失うのだ。」 創世記43:14

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2009年3月8日

「5,000人の給食」 ヨハネ6:1−15 金井辰雄先生

アンデレが少年が大麦のパンと二匹の魚を持っているのを発見して、その子をイエス様のもとに連れてきたことにより、主の偉大な奇跡は起こりました。それでは、この奇跡はイエス様について、何を教えているのでしょうか。イエス様の公生涯の初めに、サタンの誘惑を受けたとき、「人はパンだけで生きるのではなく、神の口から出る一つ一つのことばによる」 (マタイ4章4節)と言って勝利しました。人間が真に生きるためには、肉体の糧(パン)も魂の糧(みことば)もどちらも必要であり、究極的に満たしてくださるのは神であるということです。聖書は、ただ祈りさえすれば何もしないですべてが与えられると教えているわけではありません。イエス様が五つのパンと二匹の魚を用いられたように、病気であれば、医者、勉強であれば、教師や学校、経済的必要であれば職業を用いられるので、それらを重んじなければなりません。究極的には、神がみこころにより満たしてくださることを認め神を賛美しましょう。

「わたしがいのちのパンです。わたしに来る者は決して飢えることがなく、わたしを信じる者はどんなときにも、決して渇くことがありません。」  ヨハネ6:35

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2009年3月8日

「市民として生きる」 Tペテロ2:13-17 岡部高明先生

私たちは天の御国を目指す「旅人」であり「寄留者」ですが、この地上の社会制度や秩序を無視したり、反社会的な行動や無政府主義を標榜すべきではありません。ペテロは「人の立てたすべての制度に、主のゆえに従いなさい。」と勧めていますが、これはパウロがローマ人への手紙13:1-7に示している教えと基本的に呼応しているものです。「主のゆえに従う」こと、「神を恐れ、王を尊ぶ」との指針を私達の市民生活の行動規範として意識しましょう。 (良き実例:ダニエル6章)

「人の立てたすべての制度に、主のゆえに従いなさい。それが主権者である王であっても、また、悪を行う者を罰し、善を行う者をほめるように王から遣わされた総督であっても、そうしなさい。というのは、善を行って、愚かな人々の無知の口を封じることは、神のみこころだからです。」Tペテロ 2:13-15

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2009年3月1日

「散らされた教会」 使徒8:1−25 金井辰雄先生

ステパノの殉教を機に、エルサレム教会は徹底的に迫害を受けるようになりました。そして、多くの聖徒たちが他の町へ逃れて行きました。その結果、福音はユダヤからサマリヤへと広がったのです。当時ユダヤ人は、サマリヤ人を差別して関係を持とうとはしませんでしたが、ピリポはサマリヤでも伝道しました。その結果、多くの人々がイエス様を救い主として信じたのです。さっそく、エルサレム教会からペテロとヨハネが派遣されました。ペテロが信じた者の上に手を置くと聖霊が与えられるのを見たシモンは、お金でその権威を買おうとしましたが、その動機の誤りを厳しく指摘されました。聖霊は、正しい悔い改めのもとに注がれるのだからです。まずは、自分がどのような者であるのか吟味し、罪を悔い改めて、聖霊の満たしにあずかる者とならせて頂きましょう。また、ピリポに与えられた伝道の力が私たちにも与えられるように祈りましょう。

「他方、散らされた人たちは、みことばを宣べながら、巡り歩いた。」   使徒8:4


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