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メッセージ集:2008年5月

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体調が悪かったり、介護が必要だったりして教会に集えない方々のために、毎週の礼拝メッセージの要約の掲載を行っています。教会に行ってみたいけど、いきなり行くのはちょっとな、という方も、ぜひ覗いていってもらえればなと思います。

でもやはり、できることならば教会に来て礼拝にでる方が、メッセージも聞きやすいし恵みも違ってきます。どうしようかなぁと迷っている方、ぜひ一度教会にも来て下さいね!

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2008年5月25日

「イエス様に招かれている人」 マルコ2:13−17 金井辰雄先生

イエス様の弟子となったレビは、家でパ−ティ−を開いて、自分に喜びと恵みを与えてくださったイエス様を仲間に紹介しました。ところが律法学者やパリサイ人には、イエス様と弟子たちの行動が理解できず「なぜ、あの人は収税人や罪人たちと一緒に食事までするのか」V=16 と尋ねました。イエス様は、「医者を必要とするのは丈夫な者ではなく、病人です。わたしは正しい人を招くためではなく、罪人を招くために来たのです。」V=17と答えられました。自分の罪を知り、その解決を願う人々にこそまず悔い改めと救いがもたらされるということと、暗に皮肉が込められています。神の目から見れば収税人もパリサイ人も罪人ですが、いつも自分を正しい側に置く者には、罪の自覚がないので救い主が分からないのです。イエス様は、罪人を見下げたり遠ざけたりせず、むしろその友となって歩んでくださり、悔い改めに導いてくださるのです。あなたは、どちらの側に置いていますか。

「医者を必要とするのは丈夫な者ではなく、病人です。わたしは正しい人を招くためではなく、罪人を招くために来たのです。」 マルコ2:17

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2008年5月18日

「神の知恵・神の力」 Tコリント1:18−31 金井つる先生

私たち人間は、知恵を持って医学や科学を進歩させてきました。しかし、その良いことが神と無関係に用いられると、やがて人間自身の首を絞めることになりかねません。十字架のことばこそが真に人を救い、豊かな人生へと導いてくれるのです。神は、この世の愚かな者を選んで、私たちが持っているわずかなものを用いて、御業をなそうと考えられたのです。弱さの中に完全に働いてくださる主を覚え、喜んで主に用いて頂きましょう。

「十字架のことばは、滅びに至る人々には愚かであっても、救いを受ける私たちには、神の力です。」 Tコリント1:18

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2008年5月11日

「バベルの塔」 創世記11:1−9 金井辰雄先生

バベルの塔の物語です。人々は自分たちの力で天に届く高い塔を建て、名をあげようとしました。それは、人間の力を誇示し、神のようになろうとする思い上がった思いからでした。しかし、神の介入によって、ことばは混乱し、建設は中断され、人々は世界中に散らされました。神を抜きにして誤った人間的な一体感を求めて行く時、祝福を失い、神との関係も人との関係も混乱します。散り散りに生きるようになった人類が再び一つとなるためには、新たな「ことば」=キリストが必要です。(エペソ1:10) 教会は、人間の力や栄誉を求めるのではなく、むしろ罪や弱さを認め、神の力を仰ぐ人々の集まりです。神を中心とした交わりこそが、人を真に生かし、人をいやし、強め、本当の愛をはぐくむことが出来るのです。

「神は、高ぶる者を退け、へりくだる者に恵みをお授けになる。」 ヤコブ4:6

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2008年5月11日

「キリストの復活の重要性」 Tコリント15:12−20 岡部高明先生

キリストの死と復活は福音の中心であり、キリスト教会の信仰の基礎です。ところがコリント教会の中に死者の復活を否定する人々が出てきました。当時の哲学や異教思想の影響を受けたか、福音についての誤った解釈によるものでした。パウロは、彼らが言うように死者の復活を否定するなら確かな多くの証拠によって確証されているキリストの復活を否定することになり、使徒たちの宣教も教会の信仰も罪からの救いも実質のないものになってしまうと論じています。からだの復活こそキリスト者の希望であり、復活して昇天し、再臨されるキリストを信じる私達の救いの完成でもあるのです。

「もし、死者の復活がないのなら、キリストも復活されなかったでしょう。そして、キリストが復活されなかったのなら、私たちの宣教は実質のないものになり、あなたがたの信仰も実質のないものになるのです。」 Tコリント15:13,14

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2008年5月4日

「教会が生み出されるための準備」 使徒1:1−26 金井辰雄先生

今月から「使徒の働き」を学びます。この書には、教会がどのように誕生し、発展したのか、また教会を通してどのように宣教がなされたのかが記されています。使徒の働きは、伝道と教会形成の最も良いテキストです。教会が誕生するにあたり、神様はどんな準備をされたのでしょうか。 第一は、「待つ」という準備、 第二は、聖霊の約束に伴う神の宣教計画を知る準備、第三は、聖霊を待望する祈りの準備でした。 私たちが生きているこの時代は、政治、教育、道徳等のあらゆる分野に於いて罪の影響で腐敗しています。教会は地の塩であり、世の光です。教会はこの世のただ一つの希望であり対策なのです。教会が真に生きる時に、この世も生きるのです。教会は、建物でも制度でも方法でもありません。それらは殻に過ぎません。殻を破らなければ、鳥は空に向かって羽ばたくことはできません。真の命を回復するために、熱心に祈り続けましょう。

「しかし、聖霊があなたがたの上に臨まれるとき、あなたがたは力を受けます。そして、エルサレム、ユダヤとサマリヤの全土、および地の果てにまで、わたしの証人となります。」  使徒1:8


◇過去の礼拝メッセージ要約

※2008年4月の礼拝メッセージ要約

※2003年の礼拝メッセージ要約
※2002年の礼拝メッセージ要約
※2001年の礼拝メッセージ要約


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