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メッセージ集:2013年2月

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体調が悪かったり、介護が必要だったりして教会に集えない方々のために、毎週の礼拝メッセージの要約の掲載を行っています。教会に行ってみたいけど、いきなり行くのはちょっとな、という方も、ぜひ覗いていってもらえればなと思います。

でもやはり、できることならば教会に来て礼拝にでる方が、メッセージも聞きやすいし恵みも違ってきます。どうしようかなぁと迷っている方、ぜひ一度教会にも来て下さいね!

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2013年2月17・24日

「父の無限のあわれみと愛」 ルカ15:11−32  金井辰雄師

放蕩息子のお話は、なくしたものを捜し出すたとえのクライマックスです。
T.だれにでもある遠い国   弟息子は、お父さんから財産を分けてもらって、遠い国に旅立ちました。彼は、父親から離れることによって、喜びや幸福、自分の存在の意味を見出そうとしたのです。 私たちは、だれでも息子が目指したこの遠い国を持っているのではないでしょうか。
U.本当の自分に目覚める   その後、弟息子は、 湯水のようにお金を使い果たし、人生のどん底を経験して、本当の自分に目覚めたのです。その時、父親を思い出し、自分の罪に気づきました。弟息子は、乞食同然の状態で父のところへと歩き出しました。
V.父の無限のあわれみと愛   ところが、父は、遠くから息子を見つけ、走り寄って彼を抱き、口づけして喜んで迎えたのです。父親の愛が、失われた息子を引き寄せ、受け入れ、悔い改めに導き、立ち直らせたのです。ところが、父の喜ぶ姿に比べ、兄息子は、弟の帰宅をうれしいとは思いませんでした。かえって怒って弟を批判します。兄息子には、父のような愛の心がありませんでした。私たちも教会の兄弟姉妹に、父のような無条件の愛とあわれみの心で接していきましょう。
<聖書引用箇所>エゼキエル36:37,38(p1423)

「だがおまえの弟は、死んでいたのが生き返って来たのだ。いなくなっていたのが見つかったのだから、楽しんで喜ぶのは当然ではないか。」  ルカ15:32

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2013年2月17・24日

「愛と従順、栄える人生」 申命記11:7−25 金井つる師

神さまが私たちに繰り返し求めておられることは、「あなたはあなたの神、主を愛しなさい。そして主の戒めを守りなさい。」ということです。神さまの偉大なみわざを体験した私たちは、その愛に応答していくことが大切です。
1、苦労の終わり、幸せのはじまり。  今までの苦労が終わりこれから幸せが始まると言う時に、「荒野の生活を忘れてはならない。」と神さまは言われました。豊かさや安心が偶像礼拝の機会を造りやすいからです。
2、今日の従順、年の初めから年の終わりまでの祝福。  今日、或いは今従わなければならないことを、先延ばしにしていることはないでしょうか? お従いするなら、年の初めから年の終わりまでの祝福が約束されているのです。
3、みことばを心に刻み、子どもたちに教えなさい。  信仰継承の大切さは昔も今も変わりません。このことのために、心を砕き祈り、これからも励んでいきましょう。

「そこはあなたの神、主が求められる地で、年の初めから年の終わりまで、あなたの神、主が、絶えずその上に目を留めておられる地である。」    申命記11:12

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2013年2月10日

「ナルドの香油」 マタイ26:1−13  金井辰雄師

過越の祭りの数日前、イエス様がベタニヤに来られると、ラザロとその姉妹たちはイエス様のために晩餐を用意しました。晩餐の途中で、 マリヤが高価なナルドの香油の入った壺を持って来て、イエス様の頭に香油を注いだのです。 周りにいた人々は大変驚きました。イエス様を裏切ろうとしていたユダは、偽善の服を着て彼女を非難しました。しかし、ユダは貧しい人々のことを思うふりをしましたが、実際には私欲に駆られて公金を常習的に盗んでいたのです。 イエス様は、ご自身のことを理解し、精一杯のことをしてくれたマリヤの愛を喜ばれ賞賛されました。 一方、弟子たちに、「何故マリヤを困らせるのか」と叱責されました。 それは、彼らがいつもイエス様と一緒にいながら、イエス様が彼らに望んでおられることを全く理解していないばかりか、高慢になっていたからです。マリヤは、純粋な信仰と愛を惜しげもなく注ぎ出してイエス様を礼拝しました。 まことの愛は、犠牲を払うことを少しも惜しいとは思わないのです。むしろそれを喜びとするのです。
<聖書引用箇所> ヨハネ12:6(p−204)

「主に喜ばれることが何であるかを見分けなさい」   エペソ5:10

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2013年2月10日

「東方の博士たちの礼拝」 マタイ2:1-18 岡部高明師

主イエスが誕生された当時のユダヤは、ローマ元老院から王の称号を得たヘロデ大王によって治められていました。彼はイドマヤ人で、ローマ皇帝の歓心を得るために種々の事業を行い、ユダヤ人懐柔のためにエルサレムの神殿を再建し、装飾しました。しかし強い猜疑心から次々と対立者を虐殺したため、皇帝が「ヘロデの息子であるよりもヘロデの豚である方が安全だ」と言ったそうです。ヘロデ王宮でなくベツレヘムで、マリヤに抱かれた幼子イエスを礼拝した東方の博士たちの姿から私たちは何を学ぶべきでしようか。

「そしてその家に入って、母マリヤとともにおられる幼子を見、ひれ伏して拝んだ。そして、宝の箱をあけて、黄金、乳香、没薬を贈り物としてささげた。それから、夢でヘロデのところへ戻るなという戒めを受けたので、別の道から自分の国へ帰って行った。」   マタイの福音書2:11、12

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2013年2月3日

「聖徒が思うべきことと着るべきもの」 コロサイ3:1−14 金井辰雄師

聖徒は、天にあるものを思うべきです。そこに私たちのまことのいのちが隠されていて、キリストの再臨のとき、栄光のうちに現れるからです。その日を待ち望みつつ、上にあるものを求めましょう。それがキリスト者の歩みの基本だからです。また、新しい生活を始めると、いやおうなしに変化を経験します。キリスト者の生活も同じです。「あなたがたは、古い人をその行いといっしょに脱ぎ捨てて、新しい人を着たのです」(9,10節)と、その変化を要約しています。古い衣服を着たままで、新しいものを着ることはできません。神に逆らい、神から離れていた時代の性質が、私たちの体に付着しています。それらを捨て去り、それから新しい神の民としての性質を身につけていくのです。私たちが着るべき服は深い同情心、慈愛、謙遜、柔和、寛容の服です。そして、この服を完全に結び着ける帯は「愛」なのです。
この服こそ、この世で最も美しい服ではないでしょうか。
<引用箇所>エペソ2:1−3(p−374)、ローマ6:11−12(p−298)、ローマ7:6(p−299)

「あなたがたは、古い人をその行いといっしょに脱ぎ捨てて、 新しい人を着たのです。新しい人は、造り主のかたちに似せられてますます新しくされ、真の知識に至るのです。」   コロサイ3:9,10


◇過去の礼拝メッセージ要約

※2013年の礼拝メッセージ要約
 1月

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※2003年の礼拝メッセージ要約
※2002年の礼拝メッセージ要約
※2001年の礼拝メッセージ要約


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