体調が悪かったり、介護が必要だったりして教会に集えない方々のために、毎週の礼拝メッセージの要約の掲載を行っています。教会に行ってみたいけど、いきなり行くのはちょっとな、という方も、ぜひ覗いていってもらえればなと思います。
でもやはり、できることならば教会に来て礼拝にでる方が、メッセージも聞きやすいし恵みも違ってきます。どうしようかなぁと迷っている方、ぜひ一度教会にも来て下さいね!
2012年10月21・28日
「信じるなら神の栄光を見る」 ヨハネ11:1−44 金井辰雄師
本日は、召天者記念礼拝です。先に主の御元に召された聖徒たちを偲び、天国をより身近に覚える時としましょう。 イエス様のところに、ラザロが重病に冒されたのですぐに来て欲しいと、ベタニヤの町から使いが来ました。しかし、主はすぐには行動を起こさないで、なお二日そこにとどまりました。イエス様がベタニヤに到着したのは、ラザロが死んで4日も経っていました。 マルタは、イエス様が早く来てくれていたらラザロは死ななかっただろうと、恨み混じりに嘆きます。しかし、イエス様は「あなたの兄弟はよみがえります。」と霊的奥義を示し信仰を促されました。神にとって決して遅過ぎることはないのです。そして、事実、墓の石を取りのけラザロを呼ぶと、ラザロは生き返って墓から出てきたのです。イエス様がこの奇蹟を通して示そうとした真理は、人間の肉体の生と死以上のいのちを示すためにありました。それは、やがて十字架で死んで、3日目に復活することによって確かにされる永遠のいのちです。
「イエスは彼女に言われた。『もしあなたが信じるなら、あなたは神の栄光を見る、とわたしは言ったではありませんか。』」 ヨハネ11:40
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2012年10月21・28日
「今の世を愛したデマス」 Uテモテ4:9−22 金井つる師
いよいよ手紙の最後の部分になりました。手紙とはいえ殉教の死を目前にしていたので、半分は遺言を書くような気持ちであったと思います。
1、 今の世を愛したデマス。彼はパウロの伝道旅行に同行した人です。しかし、世の魅力に惹かれてパウロから離れていきました。世の力は大きく感じますが、肉の欲、目の欲、暮らし向きの自慢を第1の関心事にしてはいけません。(Tヨハネ2:15〜16)
2、 立ち直った人マルコ。マルコは一時パウロの信用を失ったことがあります。しかし、ここでは「彼は私の務めのために役に立つからです。」と言われています。イエスさまは失敗した人、不信仰な人にも、悔い改めるなら有益な者として再び用いてくださるのです。
3、 共にいてくださる主。困難、孤独の時、「主は私とともに立ち、私に力を与えてくださいました。」と、パウロは主を証します。臨在は救いなり、と言われます。いつもどんな時も、共にいてくださる主を覚えましょう。
「デマスは今の世を愛し、私を捨ててテサロニケに行ってしまい、また、クレスケンスはガラテヤに、テトスはダルマテヤに行ったからです。」 Uテモテ4:10
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2012年10月14日
「神に選ばれたダビデ」 Tサムエル16:1−23 金井辰雄師
王位から退けられたサウルのことを思って悲しむサムエルに、主はベツレヘムに行くよう命じられました。そこに住むエッサイという人の息子の中に次の王になるべき人がいるというのです。サムエルは、早速ベツレヘムに行って主が言われた通り、エッサイの息子たちを招きました。サムエルは、背が高く王にふさわしい風格のある長男エリアブを一目見て、この人こそ神が選ばれた人だと直感しました。 しかし、主のお考えは違いました。「人はうわべを見るが、主は心を見る。」と言われました。人の真実な心を見通す神は、神への信仰、愛、忠実さ、謙遜な心を喜んでくださるのです。ダビデにあってサウルに決定的に欠けていたものは、まことの神様との生き生きとした交わりでした。私たちも、日々みことばに親しみ祈ることによって、ダビデのように主との生きた関係をしっかり築くことが出来るのです。
<聖書引用箇所>ヨハネ15:16(P212)、ローマ8:28(P302)
「人はうわべを見るが、主は心を見る。」 Tサムエル16:7
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2012年10月14日
「失われたものを求める神」 ルカ15:1−24 岡部高明師
「たとえ中のたとえ」と言われるルカの福音書15章の三つのたとえを学びます。羊飼いから離れて自由になった羊、家具や敷物の陰に転がり込んだ銀貨、前倒しで得た遺産を放蕩で失い窮乏のどん底に落ちた弟息子の姿は、創造主から離れて得た自由と引き替えに、放縦と混迷、安全や価値の喪失、人災や天災に翻弄される多くの人々の不安と悲しみを示しています。危険を冒して連れ戻した羊を抱く羊飼いと家中を掃除して銀貨を手にした女性の喜び、息子の帰郷を信じて、着物(きよめと赦し)、指輪(子の立場の回復)、靴(自由と安全)、肥えた子牛(交わり)を用意していた父親の姿に「人の子は、失われた人を捜して救うために来たのです。」(ルカ19:10)と言われた主の愛と救いの恵みをみることができます。
「あなたがたに言いますが、それと同じように、ひとりの罪人が悔い改めるなら、悔い改める必要のない九十九人の正しい人にまさる喜びが天にあるのです。」 ルカ15:7
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2012年10月7日
「美しい足」 ローマ10:1−15 金井辰雄師
信仰生活に於いて熱心さは、とても重要です。信仰に熱心さがないと、聖徒の人生に何の変化も生まれません。しかし、イスラエルは、自分の義をたてるのに忙しく、神の義に関心を持ちませんでした。このため、彼らは義と認められませんでした。パウロは、救いを得る道はイエスを信じることだと言います。それでは、どうすれば信仰が生まれるのでしょうか。その答えは、信仰は、聞くことから生まれると書いてあります。 神のみことばに出会うなら、その時、信仰が生まれるのです。私たちの周囲でいのちのみわざがあまり起きないのはどうしてなのでしょうか。それは、私たちが唇を通して伝えていないからです。どのような犠牲があっても、福音を証しすることは、真に美しいことなのです。
<聖書引用箇所>ヨハネの黙示録3:19(p480)、テトス2:14(p420)、ピリピ3:5、6(p386)、使徒20:24(p270)、使徒4:18、20(p234)
遣わされなくては、どうして宣べ伝えることができるでしょう。次のように書かれているとおりです。「良いことの知らせを伝える人々の足は、なんとりっぱでしょう。」 ローマ10:15
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