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メッセージ集:2008年7月

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体調が悪かったり、介護が必要だったりして教会に集えない方々のために、毎週の礼拝メッセージの要約の掲載を行っています。教会に行ってみたいけど、いきなり行くのはちょっとな、という方も、ぜひ覗いていってもらえればなと思います。

でもやはり、できることならば教会に来て礼拝にでる方が、メッセージも聞きやすいし恵みも違ってきます。どうしようかなぁと迷っている方、ぜひ一度教会にも来て下さいね!

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2008年7月27日

「あなたも招かれています」 マタイ22:1−14 金井辰雄先生

イエス様は天国がどのようなものか、王子の結婚披露宴のたとえを通して教えられました。選民イスラエルは、神の救いを拒否したことを警告しています。しかし、そのために救いはむしろ、彼らが軽蔑していた異邦人や罪人たちに与えられることが明らかにされています。また、礼服を着ていなかった者が摘みだされたことが記されいます。当時王様の前に出るには、王の栄光を汚さないように礼服を着る習慣がありました。そのことは、私たちが神様の前に出るには、キリストを着る(キリスト信じる)ことが唯一必要条件であることを教えています。私たちは、聖い神様の前では罪汚れた罪人なのです。あなたも天国に招かれています。神様の招きを軽んじたり、そのチャンスを無駄にすることなく、その恵みに応える者となりましょう。

「招待される者は多いが、選ばれる者は少ないのです。」   マタイ22:14

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2008年7月20日

「神の摂理・ヨセフの見た夢」 創世記37:1−36 金井つる先生

 創世記37〜50章までの出来事は、一般にヨセフ物語と呼ばれています。ここには、神の不思議な摂理のみわざが記録されています。一人ひとりの何気ない行動や、罪人の愚かさまでがつなぎ合わされて、神様のみわざの完成へと向かって行きます。ある時、ヨセフは夢を見ました。この夢の意味するところは、ヨセフが彼の父、母、兄弟たちを治める者になる、ということでした。やがてこの夢は、実現することになりますが、神はどのように導かれたのでしょうか? 私たちの歩みの背後で、神は働いていて下さいます。私たちと全く無関係に神の摂理があるのではなく、私たちのために主の恵みのご計画が進められて行くのです。

「ヨセフは彼らに言った。『どうか私の見たこの夢を聞いてください。』」   創世記37:6

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2008年7月13日

「争わなかったアブラハム」 創世記13:1−18 金井辰雄先生

争いが起こった時に私たちはどのようにしているでしょうか。白黒をはっきりさせようと互いに権利を主張し合えば、争いは激化し、ますます問題をこじらせてしまうでしょう。ではどうすればよいのでしょうか。アブラムのとった解決方法は、争いを避けるために、相手に譲ることでしたが、私たちも同じようにできるでしょうか。だれでもわざわざ損をするようなことはしたくないものです。しかし、アブラムは自分を召してくださる方の祝福を固く信じていました。自分は全ての民族の祝福の源となることを、信じればこそ懐の深い生き方もできたのでしょう。祝福を信じるということは、神の豊かさに生きることであり、求める者に譲り与え、争いを避けることにもなるのです。私たちの信仰と生活実践のつながりは、果たしてどうでしょうか。

「 あなたがたは、自分に関する限り、すべての人と平和を保ちなさい。」 ロ−マ12:18

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2008年7月13日

「復活後のからだ」 Tコリント15:35−49 岡部高明先生

一般の人々が死者の復活を信じられない理由の一つとして「どのようなからだで復活するのか」という疑問があると思います。使徒パウロは、種から芽生えた植物や穀物が、蒔かれた種粒とは全く違った、すぐれたかたちをもって芽生え、成長し、花を咲かせ、結実する自然界の現象をあげて、からだのよみがえりが単なるかたち上の複製・再生ではないことを示唆しています。人間界、植物界、動物界、天体の各領域に見られる肉・からだ・栄光の多様性は創造主の主権の偉大さと復活後のからだの質的、次元的な相違の存在を示しています。復活された主イエス・キリストは、主を信じる私たちを生かし、すぐれた天上のかたちを持たせてくださる最後のアダム、第二の人なのです。

「第一の人は地から出て、土で造られた者ですが、第二の人は天から出た者です。土で造られた者はみな、この土で造られた者に似ており、天からの者はみな、この天から出た者に似ているのです。私たちは土で造られた者のかたちを持っていたように、天上のかたちをも持つのです。」 Tコリント15:47−49

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2008年7月6日

「初代教会の姿」 使徒2:37−47 金井辰雄先生

聖霊に満たされたペテロは、旧約聖書からメッセ−ジを語りました。それを聞いた多くの人々がその場で悔い改め、キリストの名によって3,000人ほどが洗礼を受け、弟子に加えられました。こうして最初の教会がエルサレムに誕生しました。この教会は、あらゆる面において理想的な教会のモデルとなりました。初代教会はどのようなことを行っていたのでしょうか?また、初代教会の信徒の生活はどのようなものであったのでしょうか?二つの点から学びたいと思います。私たちの信仰と生活の唯一の基準は聖書です。もし、初代教会と比べて、ずれていることを気づかされたら、それを謙虚に受け止めることが大切です。私たちの教会が初代教会の姿へと戻るために、今一番必要なことは何か?また、自分が変えられなければならない点は何か? 主の前に静まり、応答の時を持ちましょう。

「そして、彼らは使徒たちの教えを堅く守り、交わりをし、パンを裂き、祈りをしていた。」  使徒2:42


◇過去の礼拝メッセージ要約

※2008年6月の礼拝メッセージ要約
※2008年5月の礼拝メッセージ要約
※2008年4月の礼拝メッセージ要約

※2003年の礼拝メッセージ要約
※2002年の礼拝メッセージ要約
※2001年の礼拝メッセージ要約


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