体調が悪かったり、介護が必要だったりして教会に集えない方々のために、毎週の礼拝メッセージの要約の掲載を行っています。教会に行ってみたいけど、いきなり行くのはちょっとな、という方も、ぜひ覗いていってもらえればなと思います。
でもやはり、できることならば教会に来て礼拝にでる方が、メッセージも聞きやすいし恵みも違ってきます。どうしようかなぁと迷っている方、ぜひ一度教会にも来て下さいね!
2012年3月18・25日
「神の前に富む者」 ルカ12:13−34 金井辰雄先生
仲の良い兄弟が、親の遺産のことで醜い争いを繰り広げることがよくあります。お金や物は私たちが生活するために欠かせない大切なものであり、それ自体は善でも悪でもありません。しかし、私たちがそれらに執着し、それらを追い求めることを人生の優先課題とするとき、生命の源である神をおろそかにする危険を主イエスは警告されました。そして、人々にたとえをもって教えになりました。金持ちは、たましいの安全を神ではなく財産に依存していました。金持ちは、神に「愚か者」と呼ばれました。能力がないという意味ではありません。「愚か者は心の中で、神はいないと言っている」(詩篇14:1)とあるように、聖書では、真の支配者である神を認めないで生きる者が「愚か者」と呼ばれています。つまり、死を宣告されるまで神をないがしろにしている自分の間違いに気づきませんでした。たとえ話に続いて、すべての必要を知っておられる神に信頼し、「神の国を求めなさい。そうすれば、これらの物は、それに加えて与えられます。」という教えが展開しています。神を求めることを人生の最優先課題とし、富を正しく用いましょう。 あなたの将来の人生計画の中に、神はおられますか。
<聖書引用箇所>伝道者の書7:2(p1108)、詩篇14:1(p916)、詩篇24:1(p926)、ピリピ4:11,12,19(p387、388)
「自分のためにたくわえても、神の前に富まない者はこのとおりです。」 ルカ12:21
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2012年3月18・25日
「恵みによって強められる歩み」 Uテモテ2:1−13 金井つる先生
2章では主に救われたクリスチャン一人ひとりの姿勢が語られています。クリスチャンは、
1、神の恵みによって強くなります。自分の信念や力、蓄えた知識や経験ではありません。私たちはどこから贖い出されたのでしょうか? 救われた時の恵みを思い出しましょう。恵みによって生きる方法は、@み言葉に立つ A恵みを数える B主を賛美することです。
2、福音を委ねることです。他の人にも教える力のある忠実な人たちに委ねましょう。@キリストの兵士として A競技をする者のように B労苦する農夫のように主のために証し、奉仕しましょう。
3、神の助けの宣言。神様はワンダフル・カウンセラーです。神様ご自身が私たちをカウンセリングしてくださり、理解する力を与えてくださいます。@いつもイエスさまのことを思う。A神のことばは、つながれていない。B神は常に真実である。主の恵みによって強めて頂きましょう。
「そこで、わが子よ。キリスト・イエスにある恵みによって強くなりなさい。」 Uテモテ2:1
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2012年3月11日
「5千人の給食」 ヨハネ6:1−40 金井辰雄先生
イエスが病人たちを癒されるの見て、大勢の人々がイエスについて山まで登って来ました。イエスはそれをご覧になりピリポに「どこからパンを買って来て、食べさせようか」と言われました。それは、ピリポの信仰を試してのことでした。 ピリポは途方に暮れます。しかし、イエスは一人の少年が差し出した5つのパンと2匹の魚で5千人のお腹を満たされたのです。イエスはどんな意図を持ってこの奇跡を行われたのでしょうか。それは、「わたしがいのちのパンです」と語られるイエスこそ霊的必要を満たしてくださる唯一のお方であるということです。私たちの霊的必要は、目に見えないのでとてもわかりにくいものです。しかし、これこそがすべての人が満たされたいと願っている潜在的な飢え渇きであり、地上において満たされるべきものです。
<聖書引用箇所>ヨハネ4:13、14(p179)
「イエスは言われた。「わたしがいのちのパンです。わたしに来る者は決して飢えることがなく、わたしを信じる者はどんなときにも、決して渇くことがありません。」 ヨハネ6:35
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2012年3月11日
「赦さないしもべのたとえ」 マタイ18:21-35 岡部高明先生
ペテロは対人関係での自分の寛容さを示そうとして当時のユダヤ教学者が三度を赦しの限界としていた回数を倍加して「七度までですか」と質問しました。主イエスはたとえで「一生涯をかけても清算しきれない莫大な借金の返済を免除されたのに、自分が赦された借金よりも遙かに少ない借金を返済できない仲間を赦さなかった非情なしもべが、主人から借金の免除が取り消され、完済するまで投獄された。」と語られました。私たちは天の父(神)に対して莫大な負債を負っている者ですが、主イエス・キリストの贖い(身代わり)によって赦されました。その憐れみと赦しの豊かさにふさわしい、限度をもうけない赦しを対人関係においても示すことが求められているのです。
「あなたがたもそれぞれ、心から兄弟を赦さないなら、天のわたしの父も、あなたがたに、このようになさるのです。」 マタイ18:35
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2012年3月4日
「髪を下ろす」 ヨハネ12:1−8 金井辰雄先生
マリヤは、イエスの足に高価なナルドの香油を塗りました。ユダはその行為を無駄遣いと言って批判しました。しかし、そのことばの裏には、貪欲な心が潜んでいました。イエスは弟子たちの批判をお喜びになりませんでした。マリヤの行為は、兄弟ラザロの死のよみがえりに対するイエスへの感謝と献身から出たものであり、また、イエスに対する信仰告白でもありました。主はマリヤの行為を喜ばれ、高く評価されました。教会の礼拝というのは、問題がないかのように装うことではありません。神との関係、人との関係が正しいかどうか確認するときです。髪を下ろすとは、裸の自分で神に向き合うことです。健全な教会とは、完璧な外見で弱さや欠点を隠さなくて良いところです。私たちのあるべき姿は、欠点を隠して強く見せることではなく、弱い部分を明らかにすることを恐れない強さがあることです。正しい礼拝とは、神とも人とも正しい関係にあるときにだけ、ささげることが出来るのです。
<聖書引用箇所>マタイ26:10−13(p55)、ヨハネ4:23−24(p179)
「マリヤは、非常に高価な、純粋なナルドの香油三百グラムを取って、イエスの足に塗り、彼女の髪の毛でイエスの足をぬぐった。家は香油のかおりでいっぱいになった。」 ヨハネ12:3
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※2011年の礼拝メッセージ要約
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