トップページメッセージ集 > 2012年9月

メッセージ集:2012年9月

☆

体調が悪かったり、介護が必要だったりして教会に集えない方々のために、毎週の礼拝メッセージの要約の掲載を行っています。教会に行ってみたいけど、いきなり行くのはちょっとな、という方も、ぜひ覗いていってもらえればなと思います。

でもやはり、できることならば教会に来て礼拝にでる方が、メッセージも聞きやすいし恵みも違ってきます。どうしようかなぁと迷っている方、ぜひ一度教会にも来て下さいね!

◇メッセージ集メインに戻る


2012年9月30日

「実を結ぶ生涯への招き」 ヨハネ15:1−17 舘野克己師

十字架を前に、イエスさまは弟子たちに模範を示し、「互いに愛し合いなさい」と命じ、また、それができるようにたとえを用いて話された。多くの実を結べるぶどうの枝となるために 農夫がやることは剪定である。枝は剪定されてこそ実を結び得る。実を結ぶことこそが神の栄光を現すことだとイエスさまは明言されるが、その実とは何であろうか。品性の実、愛の実践による実、伝道の実とバラエティーがあると思う。イエスさまと弟子たちとの関係も改めて語られている。慰めに満ちたイエスさまの声を感謝して聴き、聴き続けていこう。

「わたしはぶどうの木で、あなたがたは枝です。人がわたしにとどまり、わたしもその人の中にとどまっているなら、そういう人は多くの実を結びます。」   ヨハネ15:5

* * *

2012年9月16・23日

「岩の上に家を建てよ」 マタイ7:24−29 金井辰雄師

イエス様は、山の上で人々にたくさんのことをお話になりました。本当の幸福とは何か。イエスの弟子としてどのように生きたら良いのか。進んで人を愛すること。また赦すこと。心配しないで神様にお任せすることなど。これらの教えは「山上の説教」と呼ばれていますが、説教の最後を一つのたとえで結んでいます。それは、イエス様のことばを聞いて実行する人と、聞くだけで実行しない人の話です。 ルカ6:46−49の平行記事を相互に補いながら読んでみると、強調点が一層よくわかります。つまり、岩の上も砂の上も、ただ環境が違うのではなく、家を建てる上での覚悟や努力が違うということに気づきます。イエス様のことばを聞いて行う人と行わない人の違いは、たとえの家のように歴然としています。人の真価は試練によって試されます。そして堅固さの秘訣は、家ではなく土台にあるのです。みことばを実行することは、すなわち岩の上に家を建てることなのです。
<聖書引用箇所>ルカ6:46−49(p121)、詩篇62:2(p964)、Tコリント10:4(p331)、ヘブル9:27(p435)、ヤコブ1:22(p446)

「だから、わたしのこれらのことばを聞いてそれを行う者はみな、岩の上に自分の家を建てた賢い人に比べることができます。」   マタイ7:24

* * *

2012年9月16・23日

「勇敢な生涯」 Uテモテ4:1−8 金井つる師

パウロは自分の死が近いことを意識して、愛するテモテに厳粛な命令を出しました。
1、み言葉を宣べ伝えなさい。
人は死を目前にして、自らの心境を偽ることができません。パウロの願いはただひとつでした。みことばが宣べ伝えられることです。「時が良くても、悪くてもしっかりやりなさい。」み言葉は悩みの時の慰めであり、み言葉は人を生かします。
2、パウロは自らの信仰生活を振り返り、テモテを励ましました。
人にはそれぞれ、神さまから与えられた各自の道のりがあります。その道を勇敢に戦い信仰を守り通すことが大切です。主にある素晴らしい生涯を、愚かな終局としないように心がけましょう。

「私は勇敢に戦い、走るべき道のりを走り終え、信仰を守り通しました。」   Uテモテ4:7

* * *

2012年9月9日

「神に対する義務と責任」 出エジプト20:1−6 金井辰雄師

十戒は、イスラエルの民がエジプトを出て旅をしている途中に、神が民にお与えになった十の戒めです。何故、神は彼らに十戒をお与えになったのか、現代の私たちとどんな関係があるのでしょうか。 「十戒」に代表される神の法律には3つの役割があります。@神の基準について罪とは何かを私たちに教え、その上で罪の広がりに一定の歯止めをかける。 A罪を犯してしまう私たちの弱さを知り、救い主イエス様のもとに導く。 B救われて神の子どもとされた者への新たな歩みの道しるべ。 「十戒」の序文には、神とイスラエルの関係が記されています。ですから 「十戒」は、自分たちを救ってくださった神の愛に基づく命令であることをまず理解すべきです。 十戒の冒頭で語られているのは、人にとって最も大切な命令です。 人は、 自分の造り主であり、救い主である唯一のまことの神のみを礼拝し、愛し、このお方のみに栄光をお返しすべきです。二番目の戒めは、神をどのように礼拝すべきかという礼拝の仕方に対する命令です。
<聖書引用箇所>ガラテヤ3:24(p367)、ヨハネ4:24(p179)

「あなたには、わたしのほかに、ほかの神々があってはならない。」   出エジプト記20:3

* * *

2012年9月9日

「羊と山羊のたとえ」 マタイ25:31-46 岡部高明師

「羊と山羊のたとえ」(マタイ25:31-46)を学びますが、たとえの部分は32,33節だけで、中心は「人の子」である主キリストがすべての国民を裁くことと愛のわざについての教えです。現在の世界は羊と山羊が混在している群れのように神の御国を継ぐ民と永遠の刑罰に入る人たちとが混在しています。栄光の座に着かれた主は羊飼いが羊と山羊を分けるようにすべての人々を右と左に分けられますが、その基準はキリストへの信仰で、行いによるものではありません。さばきの宣告では両者の「わざ」の霊的な違いが明らかにされています。神の御国を継ぐ民のわざは、神のみこころと兄弟愛に裏付けられた、人の必要を満たす、目立たない、自己犠牲を惜しまない、無意識的なわざなのです。

「すると、王は彼らに答えて言います。『まことに、あなたがたに告げます。あなたがたが、これらのわたしの兄弟たち、しかも最も小さい者たちのひとりにしたのは、わたしにしたのです。』」   マタイ25:40

* * *

2012年9月2日

「人の原点」 創世記2:4−25 金井辰雄師

私たちの人生を創造の原点から考えてみましょう。 まず、私たち人間は、霊的な存在であると言うことです。人は、神の息を吹き込まれて生きるものとなりました。そのことによって、神と交わりが可能になり、神のみこころを知り、神から受けた使命を果たすことが出来るのです。また、神は、人をエデンの園に置いて、そこを耕させ、守らせました。そして、報酬も約束されました。人の労働に対するこの報酬は、神からの恵みのプレゼントなのです。この神の備えてくださる恵みを耕すことが信仰なのです。 また、神は人に助け手を与えてくださいました。愛は、もともと人格的に関わることであり、当然愛する対象を必要とします。神様が私たちを愛されたので、私たちも互いに愛し合うのが神様のみこころです。神様と私の関係、友人との関係、夫婦の関係を創造の原点から今一度見直してみましょう。
<聖書引用箇所>ヨハネ4:24(p179)、イザヤ43:4(p1194)、Tヨハネ4:8(p469)

「神である主は土地のちりで人を形造り、その鼻にいのちの息を吹き込まれた。そこで人は生きものとなった。」 創世記2:7


◇過去の礼拝メッセージ要約

※2012年の礼拝メッセージ要約
 1月  2月  3月  4月  5月  6月  7月  8月

※2011年の礼拝メッセージ要約
 1月  2月  3月  4月  5月  6月  7月  8月  9月  10月  11月  12月

※2010年の礼拝メッセージ要約
 1月  2月  3月  4月  5月  6月  7月  8月  9月  10月  11月  12月

※2009年の礼拝メッセージ要約
 1月  2月  3月  4月  5月  6月  7月  8月  9月  10月  11月  12月

※2008年の礼拝メッセージ要約
 4月  5月  6月  7月  8月  9月  10月  11月  12月

※2003年の礼拝メッセージ要約
※2002年の礼拝メッセージ要約
※2001年の礼拝メッセージ要約


◇メッセージ集メインに戻る

◇トップページに戻る