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メッセージ集:2010年2月

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体調が悪かったり、介護が必要だったりして教会に集えない方々のために、毎週の礼拝メッセージの要約の掲載を行っています。教会に行ってみたいけど、いきなり行くのはちょっとな、という方も、ぜひ覗いていってもらえればなと思います。

でもやはり、できることならば教会に来て礼拝にでる方が、メッセージも聞きやすいし恵みも違ってきます。どうしようかなぁと迷っている方、ぜひ一度教会にも来て下さいね!

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2010年2月28日

「すべてが益に変えられて」 創世記50:1−26 金井つる先生

ヤコブが亡くなり、エジプトは70日間喪に服しました。ヨセフは深い悲しみの中にありながらも、ヤコブの遺言を実現するために準備をしました。遺体をミイラにして、パロに理解と協力を求めました。私たちも実行に移していないことがあるなら、具体的な一歩を踏み出しましょう。また神様は、すべてを益に変えて、私たちの人生を良いもので満たしてくださるお方です。神の摂理の中で生かされている恵みを覚えましょう。「神を愛する人々、すなわち、神のご計画に従って召された人々のためには、神がすべてのことを働かせて益としてくださることを、私たちは知っています。」ロ−マ8:28  そして、自分の人生に神様はどのようなご計画を持っておられるのか、神様に求め、教えて頂きましょう。

「あなたがたは、私に悪を計りましたが、神はそれを、良いことのための計らいとなさいました。それはきょうのようにして、多くの人々を生かしておくためでした。」  創世記50:20

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2010年2月21日

「真の自由を与えるキリスト」 ヨハネ8:31−36 金井辰雄先生

私たちは今、自由な世界に住んでいます。 言論の自由や信教の自由、旅行の自由また結婚の自由もあります。でも、本当に自由なのでしょうか。 イエス様は、イエス様を信じたユダヤ人たちに「あなたがたは、真理を知り、真理はあなたがたを自由にします。」とおっしゃいました。すると彼らは、「私たちは、アブラハムの子孫であって、決してだれの奴隷になったことはありません。」と反発しました。確かに、社会的には奴隷ではなかったかも知れません。しかし、神の視点から見ると、罪の奴隷状態にあったのです。もし、真の自由を持っているなら神のみこころを行うことが出来るはずですが、そうではありませんでした。ユダヤ人たちは、ただ、自分は自由だと錯覚していただけに過ぎなかったのです。イエス様の与える自由は、神のみこころを知り、それを実践出来る自由なのです。つまり、神のことばを信じて、神と共に歩み、隣人を愛することができる自由なのです。あなたは、このキリストの与える真の自由を持っていますか。

「もしあなたがたが、わたしのことばにとどまるなら、あなたがたはほんとうにわたしの弟子です。そして、あなたがたは真理を知り、真理はあなたがたを自由にします。」  ヨハネ8:31,32

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2010年2月21日

「老いてなお使命に生きる」 創世記49:1−33 金井つる先生

ヤコブがエジプトに下ってきた時は、130歳でした。それから17年の歳月が流れ、今、彼は147歳になっていました。彼は、その生涯を閉じるにあたり、人生最後の仕事をしようとしています。それは、子どもたちにそれぞれにふさわしい祝福の預言を与えることでした。各部族には、それぞれの特徴と役割があります。それぞれがその役割を果たすことによって、イスラエル全体に仕え、主の前に一つになることを期待していました。それは、現代の教会に対しても、主が期待しておられる姿でもあります。また、彼は人生の最後の仕事を終え、自分のお墓の場所を確認し、自分の民に加えられました。彼は、ただ選ばれた者であるが故に、その恵みに加えられたのです。その人生は波乱に富んでいましたが、まさに神の恵みに貫かれた一生でした。同じように神様は、私たちの人生を恵みに満たし、恵みによって導いてくださるのです。私たちもまた天に召されるその時まで、主の恵みを後の世代に告げ知らせて行きましょう。

「これらすべてはイスラエルの部族で、十二であった。これは彼らの父が彼らに語ったことである。彼は彼らを祝福したとき、おのおのにふさわしい祝福を与えたのであった。」  創世記49:28

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2010年2月14日

「弟子を遣わす」 マタイ9:35−10:33 金井辰雄先生

イエス様は、さまざまな町や村を巡り、福音を宣べ伝え、悪霊を追い出し、病気を癒やされました。大勢の人々が神の愛を知らず、生きる目的もなく、罪に苦しんでいるのを目の当たりにし、イエス様は深くあわれみ、かわいそうに思われました。 そして、弟子たちを呼び寄せ、ご自分の権威を彼らに授け、具体的な注意を与え、主のご用のために彼らを遣わされました。弟子たる者は、キリストによって人々の問題を解決する鍵、力、権威を頂いていることをまず自覚しましょう。 自分自身に力があるわけではありませんが、解決者であるキリストを知っている、紹介することができる、自分も救いを体験したと証しできる、そこに弟子としての権威と特権があります。恐れずに人々のところに出て行きましょう。

「収穫は多いが、働き手が少ない。 だから、収穫の主に、収穫のために働き手を送ってくださるように祈りなさい。」  マタイ9:37,38

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2010年2月14日

「信仰の戦いに勝つために」 Tペテロ5:6-9 岡部高明先生

私たちが神の力強い御手の下にへりくだり、行き届いた神の配慮に信頼することは祝福された生活の基本ですが、それは無事平穏で安楽な生活を意味するものではありません。主は「あなたがたは、世にあっては患難があります。しかし、勇敢でありなさい。わたしはすでに世に勝ったのです。」と命じられました。ペテロは信仰の戦いに勝つために、決して見張りと偵察を怠らないこと、決して敵を過小評価しないこと、決して味方の陣地から離れないこと、決して共に戦っている友軍を忘れないようにと勧告しているのです。

「身を慎み、目をさましていなさい。あなたがたの敵である悪魔が、ほえたける獅子のように、食い尽くすべきものを捜し求めながら、歩き回っています。堅く信仰に立って、この悪魔に立ち向かいなさい。ご承知のように、世にあるあなたがたの兄弟である人々は同じ苦しみを通って来たのです。」     Tペテロ5:8,9

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2010年2月7日

「エルサレム会議」 使徒15:1−35 金井辰雄先生

アンテオケ教会に新たな問題が起こりました。ユダヤから来た人々が、「モ−セの慣習に従って割礼を受けなければ救われない。」と主張し、割礼派とパウロ・バルナバの両者との間に激しい対立と論争が起こりました。そこで、この問題を巡ってエルサレムで会議を開くことになりました。激しい議論となりましたが、この会議の結論は、ユダヤ人も異邦人も同じく「主イエスの恵みによって」救われるのであって、異邦人の信者たちに割礼や律法を強要する必用はないと言うことです。善行や目に見えるしるしではなく、“ただ信仰によって”という信仰の核心が公的に明らかにされました。 激しい議論があったにもかかわらず、話し合いが積まれ、一つの結論に導かれ、神の栄光が現される結果となりました。そして、皆が喜びに満たされ、教会の一体感が深められました。聖霊の導きによる会議でした。 ここに、教会が目指すべき会議の手本があるのです。

「私たちが主イエスの恵みによって救われたことを私たちは信じますが、あの人たちもそうなのです。」  使徒15:11


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※2010年の礼拝メッセージ要約
 1月

※2009年の礼拝メッセージ要約
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※2008年の礼拝メッセージ要約
 4月  5月  6月  7月  8月  9月  10月  11月  12月

※2003年の礼拝メッセージ要約
※2002年の礼拝メッセージ要約
※2001年の礼拝メッセージ要約


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