体調が悪かったり、介護が必要だったりして教会に集えない方々のために、毎週の礼拝メッセージの要約の掲載を行っています。教会に行ってみたいけど、いきなり行くのはちょっとな、という方も、ぜひ覗いていってもらえればなと思います。
でもやはり、できることならば教会に来て礼拝にでる方が、メッセージも聞きやすいし恵みも違ってきます。どうしようかなぁと迷っている方、ぜひ一度教会にも来て下さいね!
2009年1月25日
「バプテスマを受けたイエス様」 マタイ3:1−17 金井辰雄先生
教会には、バプテスマ(洗礼)という大切な儀式があります。バプテスマというのは、罪を悔い改め、イエス様を信じ、罪赦され、神の子どもにして頂いたことを表すものです。実は、イエス様も悔い改めのバプテスマを受けています。イエス様には、罪がないのにどうしてなのでしょうか。それは、これが公生涯の出発点であること。この後、イエス様は、人前に出て宣教活動を開始され、最終的には十字架へと進んで行かれます。また、罪人の立場に立つと言うこと。イエス様が十字架の上で罪ある人間の身代わりとなるために、公生涯の始めから罪人の立場に立たれたということです。イエス様が神様から遣わされた救い主であるなら、このお方を受け入れるべきです。まだ、バプテスマを受けていない方は、イエス様にならって是非受けましょう。
「 また、天からこう告げる声が聞こえた。『これは、わたしの愛する子、わたしはこれを喜ぶ。』」 マタイ3:17
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2009年1月18日
「神の前に富む人生を」 ルカ12:13-34 岡部高明先生
私たちはかつて経験したことのない金融経済危機に伴う変化や激動に直面しています。イエス・キリストは「どんな貪欲にも注意して、よく警戒しなさい。なぜなら、いくら豊かな人でも、その人のいのちは財産にあるのではないからです。」と警告されました。原語の意味を解説した「詳訳聖書」では「気をつけて{あらゆる}貪欲<節度のない富の欲求、際限のない所有欲>から身を守り、解放されていなさい。人のいのちは、有り余るほど豊かに<必要とする分を越えて>所有することにあるのではない<から出て来るのではない>からである。」と翻訳されています。所有物といのちは全く別物です。いのちの付与者である神に信頼して生きる時、貪欲から解放されて神の前に富む者とされるのです。
「そして人々に言われた。『「どんな貪欲にも注意して、よく警戒しなさい。なぜなら、いくら豊かな人でも、その人のいのちは財産にあるのではないからです。』」 ルカ12:15
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2009年1月18日
「神の時が満ちて」 創世記41:1−57 金井つる先生
このヨセフ物語には、3つの夢の話が出てきます。この3つの夢は、それぞれバラバラのようで実はお互いに関係し合っています。2つ目の夢は、ヨセフの最後の夢に関与させ、3つ目のパロが見た夢は、最初にヨセフが見た夢の成就に用いられています。全能者のスケ−ルの大きさを思います。と同時に、ヨセフという一青年に注がれた神の愛と配慮の深さ広さを思います。ヨセフは、苦しみと悲しみの多い過去を清算し、人を赦し、現在の恵みの中に、全世界を飢饉から救うという厳粛な使命に立たされました。神の時が満ちて今ヨセフは、信仰の勝利者としてスタ−トを切りました。私たちも、自分に与えられている使命を確信して良きスタ−トを切りましょう。
「ヨセフは長子をマナセと名づけた。『神が私のすべての労苦と私の父の全家とを忘れさせた。』からである。 また、二番目の子をエフライムと名づけた。『神が私の苦しみの地で私を実り多い者とされた。』からである。」 創世記41:51,52
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2009年1月11日
「教会員の特権と使命」 Tペテロ2:4-10 岡部高明先生
ポーロ・S・リースは「世の人々の神についての考えは、何よりもまず、自分が神の家族の一員だとする人々から得られる。彼らは聖書を読むことによってよりも、私たちから、より多く読む。彼らは私たちを見るが、イエス・キリストについてはただ聞くだけである。」とのアレグザンダー・マクラレンの言葉を引用して、彼の考えは間違っていないと記しています。ペテロも苦難の中にいる教会員たちが、イエス・キリストを通して今は霊的イスラエルとしての特権にあずかり、神のあわれみを宣べ伝えるために選ばれていることを示して、そのように生きることを勧めています。
「しかし、あなたがたは、選ばれた種族、王である祭司、聖なる国民、神の所有とされた民です。それは、あなたがたを、やみの中から、ご自分の驚くべき光の中に招いてくださった方のすばらしいみわざを、あなたがたが宣べ伝えるためなのです。あなたがたは、以前は神の民ではなかったのに、今は神の民であり、以前はあわれみを受けない者であったのに、今はあわれみを受けた者です。」 Tペテロ 2:9,10
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2009年1月4日
「祝福への鍵は忍耐である」 ヘブル10:32−39 金井辰雄先生
現代人は、時間を効率的に使い生産性を上げようと、イライラしながら過密スケジュ−ルをこなしています。コラムニストのキャロル・オ−ディ−ルは、生活のペ−スを落とすと、家庭や仕事に良い影響を与えると述べています。あわただしく暮らしていると判断力が鈍り、大切な人や大切な事を見落としてしまうのです。生活のリズムをペ−スダウンして、みことばを味わいつつ、足が地に着いた歩みをしたいと願います。この手紙の受取人であるユダヤ人クリスチャンたちは、信仰の戦いを戦い、愛の助け合いも忘れませんでした。しかし時が経ち、再び患難と試練の時が目前に迫っているのを見て、彼らの喜びは薄れて行き、信仰をもって世に打ち勝つ力も弱まっていました。そうした中で聞いた福音の真理をしっかりと心に留め、忍耐を働かせて神への信頼と希望を終わりまでしっかり持ち続けるようにと勧めています。何故なら、祝福への鍵がそこにあるからです。この忍耐を2009年の指針として歩んでまいりましょう。
「 あなたがたが神のみこころを行って、約束のものを手に入れるために必要なのは忍耐です。」 ヘブル10:36
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2009年1月1日
「信仰の決意」 詩篇119:33-40 金井辰雄先生
新年明けましておめでとうございます。今日から2009年の幕開けです。12月31日と1月1日は、時間の経過から考えると他の日と何ら変わらないわけですが、しかし、誰もがこの日付の変更に特別な思いを抱くのは、一年の終わりと新しい一年の始まりと言う“時の区切り”を意識するからでしょう。新しい年に新しい決意を持ってスタ−トしたいと思います。詩篇119篇の著者も新たな決意をしています。「あなたのおきての道を私に教えてください。そうすれば、私は終わりまで守りましょう。」V=33 私たちは、何故みことばに従って生きなければならないのでしょうか。神様の命令に従って生きると言うことは、私たちにどういう意味があるのでしょうか。そして、著者がみことばを慕い求め、信仰の生涯を全うしたいと願っているのは、何故なのでしょうか。
「主よ。あなたのおきての道を私に教えてください。そうすれば、私はそれを終わりまで守りましょう。」 詩篇119:33
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