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メッセージ集:2011年10月

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体調が悪かったり、介護が必要だったりして教会に集えない方々のために、毎週の礼拝メッセージの要約の掲載を行っています。教会に行ってみたいけど、いきなり行くのはちょっとな、という方も、ぜひ覗いていってもらえればなと思います。

でもやはり、できることならば教会に来て礼拝にでる方が、メッセージも聞きやすいし恵みも違ってきます。どうしようかなぁと迷っている方、ぜひ一度教会にも来て下さいね!

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2011年10月30日

「わたしと一緒に歩いていこう」 マタイ11:15〜30 小澤聖先生

イエス・キリストのもとに招かれ、重荷を降ろし疲れを癒された者に、新しい使命が与えられる。それは、「わたしのくびきを負って、わたしから学びなさい。」ということです。 「くびき」とは何でしょうか?漢字では「首木」と書き、首にかける木の農耕具の一つだそうです。昔、トラクターがまだ無かった時代、畑を耕すのに牛が使われました。2頭の牛を、この首木でつなぐことによって、それぞれの牛がそれぞれの方向に進んでいくことが無く、同じ方向に進んでいくのです。「イエス・キリストのくびきを負う」とは、すなわち、イエス様と同じ方向に、同じ歩調で歩いていくということなのです。

「わたしは心優しく、へりくだっているから、あなたがたもわたしのくびきを負って、わたしから学びなさい。そうすればたましいに安らぎが来ます。」  マタイ11:29

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2011年10月30日

「証し」 ルカ23:32〜43 船戸和子先生

「父よ。彼らをお赦しください。彼らは、何をしているのか自分でわからないのです。」 「まことに、あなたに告げます。あなたはきょう、わたしとともにパラダイスにいます。」   ルカ23:34、43

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2011年10月23日

「復活のいのちであるイエス・キリスト」 ヨハネ11:1−53 金井辰雄先生

本日は、召天者記念礼拝です。 先に召された聖徒たちを思い天国をより身近に覚えるとともに、私たちの信仰が十字架と復活信仰であることを再確認したいと思います。 イエス様のところに、ラザロが重病に冒されたのですぐに来て欲しいと、ベタニヤの町から使いが来ました。しかし、主はすぐには行動を起こさないで、なお二日そこにとどまりました。イエス様がベタニヤに到着したのは、ラザロが死んで4日も経っていました。 マルタは、イエス様が早く来てくれていたらラザロは死ななかっただろうと、恨み混じりに嘆きます。しかし、イエス様は「あなたの兄弟はよみがえります。」と霊的奥義を示し信仰を促されました。神にとって決して遅過ぎることはないのです。そして、事実、墓の石を取りのけラザロを呼ぶと、ラザロは生き返って墓から出てきたのです。イエス様がこの奇蹟を通して示そうとした真理は、人間の肉体の生と死以上のいのちを示すためにありました。それは、やがて十字架で死んで、3日目に復活することによって確かにされる永遠のいのちです。 あなたは、このイエス様の与える復活のいのちに与っていますか。 
<聖書引用箇所> 詩篇23:4、Tコリント15:21

「イエスは言われた。『わたしは、よみがえりです。いのちです。わたしを信じる者は、死んでも生きるのです。また、生きていてわたしを信じる者は、決して死ぬことがありません。このことを信じますか。』」    ヨハネ11:25,26

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2011年10月16日

「日常の真中で出会う神」 ヨハネ2:1−11 金井つる先生

ガリラヤのカナで行われた結婚式で、イエスさまは最初の奇跡を行いご自身の栄光を現わされました。祝宴の途中でぶどう酒が無くなってしまいました。このことは新郎新婦にとって、恥ずかしいことであり不名誉なことでした。イエスさまはこのような状況から二人を救い出して下さいました。主は家庭の中に、人生のありふれた物語の中に介入し、御業を現わして下さるお方です。 1、マリヤの信仰  1)単純な祈り 「ぶどう酒がありません。」何のためらいもなく、主に助けを求めました。 2)主に対する信頼 「あの方が言われることを、何でもしてあげてください。」主が解決してくださるという信仰。 2、イエスの主権、神の時  1)まだ時がきていない 2)「さあ、今くみなさい。」 今がその時。神さまの定められた時があります。 3)水をくんだ手伝いの者たちの幸い。主の栄光を拝することが出来ました。私たちも主の栄光を拝させて頂きましょう。
<引用箇所> 詩篇119:75  伝道者の書3:11  Tコリント15:58

「イエスは彼らに言われた。『さあ、今くみなさい。そして宴会の世話役のところに持って行きなさい。』彼らは持って行った。」  ヨハネ2:8

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2011年10月9日

「神様に従うアブラハム」 創世記22:1−19 金井辰雄先生

親の愛をたっぷり受けたイサクは順調に成長し、少年になったとき、彼らの家族に思いもよらない出来事が待ち受けていました。 それは、「イサクをわたしにささげなさい」という神様の命令でした。アブラハムは、翌朝早くひとり息子のイサクを連れてモリヤの山に向かいました。そして、祭壇に薪を並べ、イサクを縛り、その上に彼を置いて、刀を取ってまさに息子に手をかけようとした時、神様のストップがかけられました。何故? アブラハムに対する一見残酷な命令は、ただアブラハムの信仰の最終テストとして用意されたものでした。つまり、このテストによってアブラハムが本当に神を恐れ、神を第一とする人物であるかどうかが分かったからです。 約束の子イサクの存在は、アブラハムにとって、それまでの自らの不信仰と神の真実の証でした。 しかし、この試練は、彼の信仰の質的な転換をもたらしたのです。それは、いざとなると自分が頭をもたげる信仰から徹底的に主に信頼する信仰への移行です。アブラハムは、近くで角をやぶに引っかけている一頭の雄羊を自身の子の代わりに、全焼の生け贄としてささげました。 そこで、彼は、その場所をアドナイ・イルエ(主が備えてくださる)と名づけました。 こうして、神のアブラハムへの祝福は、ますます確かなものとされて行きました。
<聖書引用箇所> 創世記17:16、  ヘブル11:17−19、 レビ18:21、 ヘブル11:6

「そうしてアブラハムは、その場所を、アドナイ・イルエと名づけた。今日でも、「主の山の上には備えがある」と言い伝えられている。」  創世記22:14

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2011年10月9日

「不正な管理人と光の子」 ルカ16:1−13 岡部高明先生

委託された金持ちの財産を乱費していることを訴えられた管理人が、解雇後に備えて主人の債務者を自分の味方にするために証文を改ざんして負債額を軽減させた不正な管理人のたとえ(ルカ16:1-8)と、16:9以下の主イエスの教えについては注意深く学ぶ必要があります。主イエスは、管理人の抜け目なさ(自己破滅の深刻な受け止め方と必死の対応)を指摘して、「光の子」である私たちも、@永遠の住まいでの友を得るために、この世で神から委託されている富(賜物、財産など)を活用すること、A「まことの富」を任されるために、この世で任された小事や他人のものを忠実に管理すること、B委託された富そのものよりも、委託してくださった神にのみ忠実に仕えることを教えられたのです。

「しもべは、ふたりの主人に仕えることはできません。一方を憎んで他方を愛したり、または一方を重んじて他方を軽んじたりするからです。あなたがたは、神にも仕え、また富にも仕えるということはできません。」  ルカ16:13

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2011年10月2日

「サムソンの回復」 士師記16:13−31 金井辰雄先生

サムソンには、ペリシテの抑圧から神の民を救い出すという使命が与えられていました。 そして、その使命を果たすために聖霊による「力」が与えられていました。 そして、ナジル人には、守るべきことがありました。ぶどう酒を飲んではならない。汚れてはならない。頭にカミソを当ててはならない。 そこに、サムソンの力の秘密がありました。 しかし、成長してからのサムソンは、ナジル人にふさわしくない身勝手な行動をとりました。それは、両親をはじめ周囲を戸惑わせ、悲しませました。そして、デリラの誘惑に負けたサムソンは、ペリシテ人に捕らえられてしまいした。牢獄での生活は、サムソンに自らがナジル人であることを思い出させ、深い罪の告白と悔い改めへと導かれました。サムソンの不幸は、神が彼によってなされたことを思い上がって自分の功績であるとしたところにあります。主が彼を去られた時、まったくただの人であったように、私たちも上からの賜物を受けなければ、まったくただの人なのです。 洗礼を受けたとか、役員であるとかが私たちを強くしているのではないのです。ただ、日ごとに新しい力を注がれ、聖霊に満たされることによって初めて私たちは、キリスト者として生きることができるのです。
<聖書引用箇所> ルカ9:1、2、40  士師記13:1−5、25 14:6  黙示録3:17  Tペテロ2:1、2  詩篇51:17

「サムソンは主に呼ばわって言った。『神、主よ。どうぞ、私を御心に留めてください。ああ、神よ。どうぞ、この一時でも、私を強めてください。私の二つの目のために、もう一度ペリシテ人に復讐したいのです。』」  士師記16:28


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