体調が悪かったり、介護が必要だったりして教会に集えない方々のために、毎週の礼拝メッセージの要約の掲載を行っています。教会に行ってみたいけど、いきなり行くのはちょっとな、という方も、ぜひ覗いていってもらえればなと思います。
でもやはり、できることならば教会に来て礼拝にでる方が、メッセージも聞きやすいし恵みも違ってきます。どうしようかなぁと迷っている方、ぜひ一度教会にも来て下さいね!
2009年12月27日
「主が求める信仰とは」 マタイ25:31−46 金井辰雄先生
イエス様が再臨されるとき、すべての国民が御前に集められ、羊と山羊を分けるように右と左に分けられます。そして、右に置かれた者には、神の国に入る特権が与えられますが、左に置かれた者には、永遠の刑罰が待っています。 いわゆる最後の審判です。その判断の基準は何かと言うと、イエス様の必用に愛を持って応答したかどうかなのです。イエス様の必用が、 「これらのわたしの兄弟たち、しかも最も小さい者たちのひとりにしたのは、わたしにしたのです。」 V=40 と、「わたしの兄弟たち、しかも最も小さい者たち」と同一視されています。 私たちは、直接イエス様に対してならどんなことでも喜んで奉仕をするでしょう。 しかし、とるに足りない者や価値を認められない者に頼まれたらそうするでしょうか? これが、この記事の最も重要な点です。 だから信仰が必用なのです。 そして、イエス様が求める信仰とは、愛の実践がともなった信仰なのです。
「すると、王は彼らに答えて言います。『まことに、あなたがたに告げます。あなたがたが、これらのわたしの兄弟たち、しかも最も小さい者たちのひとりにしたのは、わたしにしたのです。』」 マタイ25:40
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2009年12月27日
「向きを変えて出発せよ」 ヨシュア1:5−25 金井つる先生
「あなたがたはこの山に長くとどまっていた。
向きを変えて、出発せよ。」申命記1章6,7節
神様は、長くとどまってイスラエルの民に「向きを変えて、出発せよ。」と行動を促されました。新しい出発には、勇気が必用です。
@出発する勇気を持ちましょう。
A「人の和」より「神の義」を優先させる勇気を持ちましょう。
Bまず、第一歩を踏み出しましょう。
「財産を失うことは、いくらかを失うことだ。名誉を失うことは、多くを失うことだ。しかし、勇気を失うことは、全てを失うことだ。」 W.チャ−チル
全能の神を信じるところから来る、信仰の勇気を持って新しい出発をしましょう。
「あなたがたはこの山に長くとどまっていた。 向きを変えて、出発せよ。」 申命記1:6,7
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2009年12月20日
「神様からの愛の贈りもの」 ルカ2:1−20 金井辰雄先生
クリスマスは、神のひとり子イエス・キリストを人類の救い主として贈ってくださった神の大いなる愛を覚えるときです。「私たちが神を愛したのではなく、神が私たちを愛し、私たちの罪のために、なだめの供え物としての御子を遣わされました。ここに愛があるのです。」Tヨハネ4:10 クリスマスの主人公は、サンタではなくイエス・キリストです。救い主(イエス・キリスト)が家畜小屋で生まれるほど貧しくなられたのは、罪人である私たちを愛し、救おうとされたからです。その救い主に最初に出会うことが出来た人々は、羊飼いや東方の博士たちでした。彼らは、救い主を発見して幼子を礼拝しました。そして、神を賛美し喜びながら帰って行きました。神は、あなたがこのクリスマスの贈りものを受け取り、喜ぶ姿を見たいと願っているのです。
「きょうダビデの町で、あなたがたのために、救い主がお生まれになりました。この方こそ主キリストです。」 ルカ2:11
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2009年12月20日
「時がくれば実現します」 ルカ1:5−25 金井つる先生
ザカリヤとエリサベツは、神様の前に正しく誠実に歩んでいました。しかし、結果が見えない時を過ごさなければなりませんでした。彼らは、祈りが聞かれない状況の中でも否定的な気持ちにならないで、神様に従順に仕え続けました。その後に、神のことばが実現する時を迎えました。主は、この老夫婦に心を留めて、ご自身の業を成してくださいました。エリサベツは、「主は、私をこのようにしてくださいました。」と主をたたえました。私たちも結果が見えない時があるかもしれませんが、時がくれば実現することを信じて、前向きに主にお仕えして行きましょう。
「ですから、見なさい。これらのことが起こる日までは、あなたは、おしになって、ものが言えなくなります。私のことばを信じなかったからです。私のことばは、その時が来れば実現します。」 ルカ1:20
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2009年12月13日
「インマヌエルの神」 マタイ1:18−25 金井辰雄先生
ヨセフは、いいなずけのマリヤが子どもを妊娠したことで悩んでいました。 もし、そのことを公開すれば、彼女は律法によって死ぬしかありませんでした。そこで、内密に去らせようと決めていました。 ヨセフがこのことを思いめぐらしていたとき、夢の中で御使いが彼に現れてマリヤのお腹に宿っているのは、メシヤであることを告げ、ヨセフを励まします。ヨセフは、夢から覚めると主の使いに命じられた通りに従います。イエスはインマヌエルと呼ばれますが、それは「神は私たちとともにおられる」という意味です。イエスは人となられた神であり、イエスがこの地に来られた出来事は、神が低く、小さな私たちと共におられるという確かな証拠なのです。神が人となられるということは、自然法則の中では到底成り立つことの出来ない奇跡です。今日、信仰者の生活は遠い場所におられる神を追い求める生活ではなく、私たちのそばに来られた主とともに歩む生活です。クリスマスは、今も私たちとともにおられる主にもう一度出会う日なのです。
「 「見よ、処女がみごもっている。そして男の子を産む。その名はインマヌエルと呼ばれる。」(訳すと、神は私たちとともにおられる、という意味である。)」 マタイ1:23
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2009年12月13日
「牧者のあるべき姿」 Tペテロ5:1−4 岡部高明先生
クリスマスは、羊のようにさ迷っていた私たちをまことの神に連れ戻すために遣わされたたましいの牧者イエス・キリストの誕生日です。使徒ペテロは召された長老の一人として、他の長老たちに、神の羊の群れの牧者として名声や金銭的な欲望や権勢欲からではなく、自発的に神の計画に従って心から喜んで積極的に仕え、信仰生活の手本を示すように命じています。今日の教会においても同じ心構えをもって奉仕する奉仕者、信仰の年長者(長老)が求められています。間もなく再臨される主から栄光の冠を受けるためにも身近にいる神の羊たちと未来の神の羊たちの手本として恥じることのない歩みと奉仕に励みましょう。
「あなたがたのうちにいる、神の羊の群れを、牧しなさい。強制されてするのではなく、神に従って、自分から進んでそれをなし、卑しい利得を求める心からではなく、心を込めてそれをしなさい。あなたがたは、その割り当てられている人たちを支配するのではなく、むしろ群れの模範となりなさい。」 Tペテロ5:2,3
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2009年12月6日
「救いをなされる主の熱心」 イザヤ9:1〜7 金井辰雄先生
救い主の誕生の約700年前、預言者イザヤは、南王国ユダで活動していました。当時、人々は神のことばをないがしろにし、人に頼り、また、周辺の偶像宗教の影響を受けてまことの神に対する信仰は腐敗していました。信仰の腐敗は暗黒の時代を招きます。ゼブルンとナフタリ(北王国イスラエル)の地がアッシリヤによって占領されるという圧迫と混乱も神の御許しの中で起こったことであり、神は悔い改めを求めていました。イザヤは、闇の中を歩んでいた民に希望のメッセ−ジを語ります。まことのイスラエルの回復と繁栄は、王や国ではなくメシヤなるイエス・キリストによって起こることを示します。イザヤは、これを「万軍の主の熱心」と表現しました。私たちが救われたのは、神の熱心によるのです。しかし、皮肉なことに救われたその民は、他の人の救いのためには、さほど汗を流さず、熱心さを見せないことです。神の熱心によって救われたのなら、私たちも熱心になるのが当然の道理ではないでしょうか。
「ひとりのみどりごが、私たちのために生まれる。ひとりの男の子が、私たちに与えられる。主権はその肩にあり、その名は『不思議な助言者、力ある神、永遠の父、平和の君』と呼ばれる。 その主権は増し加わり、その平和は限りなく、ダビデの王座に着いて、その王国を治め、さばきと正義によってこれを堅く立て、これをささえる。今より、とこしえまで。万軍の主の熱心がこれを成し遂げる。」 イザヤ9:6−7
◇過去の礼拝メッセージ要約
※2009年の礼拝メッセージ要約
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※2008年の礼拝メッセージ要約
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10月
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※2003年の礼拝メッセージ要約
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