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メッセージ集:2009年2月

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体調が悪かったり、介護が必要だったりして教会に集えない方々のために、毎週の礼拝メッセージの要約の掲載を行っています。教会に行ってみたいけど、いきなり行くのはちょっとな、という方も、ぜひ覗いていってもらえればなと思います。

でもやはり、できることならば教会に来て礼拝にでる方が、メッセージも聞きやすいし恵みも違ってきます。どうしようかなぁと迷っている方、ぜひ一度教会にも来て下さいね!

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2009年2月22日

「二つの道の選択」 マタイ7:13−14 金井辰雄先生

歩きやすい広い道と歩きにくい狭い道があったら、どちらを通りますか。恐らく行き先が同じだったら、 歩きやすい広い道を選ぶ人が多いでしょう。しかし、大切なのはその道がどこに向かっていく道なのかということです。あえて狭い道を選ばなくてはいけないことがあると、イエス様は教えられました。何故なら、多くの人々は、入りやすい広い門から入り、広い道を歩きます。それは、神に背を向け、この世の楽しみ、繁栄を追い求める生き方を意味します。また、滅びに向かう道です。しかし、狭い門から入り狭い道を歩くとは、自分勝手に生きてきた罪を悔い改め、イエス・キリストを信じる生き方です。その道は、いのちに向かう道です。永遠のいのちに至る狭い道を選ぶか、滅びに至る広い道を選ぶか、道はこの二つだけです。あなたは、どちらを選びますか。

「狭い門から入りなさい。滅びに至る門は大きく、その道は広いからです。そして、そこから入って行く者が多いのです。いのちに至る門は小さく、その道は狭く、それを見いだす者はまれです。」  マタイ7:13,14

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2009年2月15日

「苦しみから夢の実現へ」 創世記42:1−38 金井つる先生

ヨセフは、大きな失望の山を越えました。それは、獄中での最悪の2年間を乗り越えたということです。この神の沈黙の後、ヨセフはエジプトの統治者になりました。そして、夢の実現へと進みますが、42章には、苦悩する3種類の人間の姿が描かれています。 1.父ヤコブ、正しく教育出来なかった息子たちによって苦しみました。 2.ヨセフ、自分が見た夢を何の配慮もなく、高ぶる心で語ったことに原因がありました。 3.兄弟たち、過去に犯した罪に苦しみ続けていました。しかし、神様はそれぞれの内面に働いて下さり、造り変えて下さいました。ここに神様の偉大な御業を見ることが出来ます。私たちも、主によって造り変えて頂き、恵みの高嶺に進ませて頂きましょう。

「彼らは互いに言った。『ああ、われわれは弟のことで罰を受けているのだなあ。あれがわれわれにあわれみを請うたとき、彼の心の苦しみを見ながら、われわれは聞き入れなかった。それでわれわれはこんな苦しみに会っているのだ。』」   創世記42:21

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2009年2月8日

「弟子を招く」 ルカ5:1−11 金井辰雄先生

イエス様は、ペテロの舟に乗られ、「深みに漕ぎ出して、網をおろして魚をとりなさい」(4節)と命じられました。イエス様のことばは、当時の漁師の常識からすれば理屈に合いませんでした。夜通し働いて何一つとれなかったにもかかわらず、ペテロは、「おことばどおり、網をおろしてみましょう」(5節)と従いました。ところが、ペテロはこのイエス様のことばに従って、大きな報いを受けました。そして、信仰を告白するペテロ(8節)に対して、「人間をとるようになる」と預言されました。やがて、それは現実となりました。あなたはいかがでしょうか。この世の常識や自分の弱さに縛られて、神様のことばに従う一歩がなかなか踏み出せないでいませんか。今日、イエス様の御声に従って大胆に信仰の大海原に漕ぎ出しましょう。そこから祝福が始まるのです。

イエスは彼らに言われた。「わたしについて来なさい。人間をとる漁師にしてあげよう。」  マルコ1:17

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2009年2月8日

「神の民の生き方」 Tペテロ2:9-12 岡部高明先生

使徒ペテロは手紙の受信者である信徒達が「旅人」「寄留者」(1:1)であったことを踏まえながら、天の御国を目指す巡礼者としての基本的な生き方を勧めています。上記聖句の「異邦人」は、異教徒の人々を指しています。彼らの偏見や無理解を嘆いたり、反発したり、あきらめることなく、積極的に、いつの日にか共に神の救いをほめたたえるようになることを目指して、神の民として「りっぱな」(尊敬される)行動によって弁明することを求めています。そのためにも信徒自身の内的の戦い(肉的な欲望だけでなく、ねたみや自己主張などから離れる自己訓練)も求められています。

「異邦人の中にあって、りっぱにふるまいなさい。そうすれば、彼らは、何かのことであなたがたを悪人呼ばわりしていても、あなたがたのそのりっぱな行いを見て、おとずれの日に神をほめたたえるようになります。」 Tペテロ 2:12

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2009年2月1日

「主を証する生き方」 使徒7:51−60 金井辰雄先生

使徒の働き7章には、ユダヤの議会でのステパノの弁明と殉教のことが記されています。迫害を恐れず主イエスを伝えたステパノの生涯から、主を証する生き方を学びたいと思います。ステパノは、神の救いの計画を、イスラエル民族の歴史をたどりつつ、先祖以来の“頑なさ”を浮き彫りにし、それがまたメシヤを殺すに至ったと論破しました。自分を訴える者が逆に訴えられるかたちになりました。しかし、ステパノは、決して彼らをいたずらに責めようとしたのではありませんでした。自らの誤りに気づいて悔い改めることを願ったのです。ステパノの最後の祈りは、イエス様の祈りに通じるところがあります。キリストが歩まれたように歩み、キリストが死なれたようにように死んで行ったのです。全ての戦いを終えて、天に迎えられました。私たちが福音の恵みにあずかることが出来た背景には、こうしたキリスト者の生き方を忘れてはならないと思います。

「こうして彼らがステパノに石を投げつけていると、ステパノは主を呼んで、こう言った。『主イエスよ。私の霊をお受けください。』そして、ひざまずいて、大声でこう叫んだ。『主よ。この罪を彼らに負わせないでください。』こう言って、眠りについた。」  使徒7:59,60


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