体調が悪かったり、介護が必要だったりして教会に集えない方々のために、毎週の礼拝メッセージの要約の掲載を行っています。教会に行ってみたいけど、いきなり行くのはちょっとな、という方も、ぜひ覗いていってもらえればなと思います。
でもやはり、できることならば教会に来て礼拝にでる方が、メッセージも聞きやすいし恵みも違ってきます。どうしようかなぁと迷っている方、ぜひ一度教会にも来て下さいね!
2012年7月29日
「主のしもべと試練」 ヨブ記1:1−22 金井辰雄師
ヨブ記のテ−マは、人生に於ける苦しみの意味です。 幸せに暮らしているヨブに、思いがけない不幸が次々と襲います。読者には、あらかじめ、ヨブの試練の背景となる天上での出来事が知らされていますが、ヨブ自身はまったく知るよしもありません。神様はサタンが活動することを許可されますが、その働きを制限されます。そして、サタンの働きさえも、信仰の成長のために用いられます。ヨブの受けた苦難は、人間の想像を絶するものです。しかし、ヨブは神様に愚痴をこぼしませんでした。そこには、神様の絶対主権と神様への深い信頼があったからです。どんな辛いことの中にも意味がないことなど一つもありません。今は、苦難の意味が分からなくても神様を見上げて生きるべきことを見いだすのです。
<聖書引用箇所>ヤコブ1:2−4(p445) Tサムエル1:18(p466)
「そして言った。『私は裸で母の胎から出て来た。また、裸で私はかしこに帰ろう。主は与え、主は取られる。主の御名はほむべきかな。』 ヨブはこのようになっても罪を犯さず、神に愚痴をこぼさなかった。」 ヨブ記1:21,22
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2012年7月15・22日
「狭い門から入りなさい」 マタイ7:13−14 金井辰雄師
本日のテキストは、「山上の垂訓」として知られ、“幸福への道”がテーマです。13、14節は、本当の幸福へのカギはどこにあるのかを教えています。イエス様は、狭い門から入りなさいとおっしゃいました。 多くの人々は、入りやすい大きな門から入り、広い道を歩きます。歩きやすいし、同じ道を選ぶ仲間もたくさんいるので安心かも知れません。しかし、それは滅びに通じている道だというのです。逆に、入りにくい狭い門と歩きにくい狭い道はいのちに通じる道だから、狭い門から入りなさいとおっしゃています。 狭い門から入り、狭い道を歩くことは、罪を悔い改めて、キリストを信じて歩む生き方です。そして、罪を赦して頂いた人は、罪から離れ、神様に従って罪を犯さないように歩んで行きます。それが、狭い道を歩むと言うことです。 私たちは何故、狭い門、狭い道を選ばなくてはならないのでしょうか。その決定的な理由は、ゴ−ルの違いにあるからです。
<聖書引用箇所>Tヨハネ1:8−10(p465)、ヨハネ14:6(p209)
「 狭い門から入りなさい。滅びに至る門は大きく、その道は広いからです。そして、そこから入って行く者が多いのです。 いのちに至る門は小さく、その道は狭く、それを見いだす者はまれです。」 マタイ7:13、14
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2012年7月15・22日
「いのちの尊厳・助産婦たちの選択」 出エジプト記1:8−22 金井つる師
ヤコブの一族はヨセフを頼ってエジプトに移住しました。当初はヨセフのおかげで平和な日々を過ごしましたが、ヨセフが亡くなり彼の功績を知っている人も亡くなると、エジプト人はイスラエル人に冷たくなってきました。この個所には大きな選択をした2種類の人が登場します。
1、エジプトの王の選択。 イスラエル人を苦役で苦しめ、ついには幼い男の子を殺害することを選択しました。理由は@ヨセフの時代の人々が皆死んでしまったこと。 Aイスラエル人がエジプトの地に満ちたこと。イスラエルの繁栄と多産は、エジプトのねたみ、憎しみ、疑惑を買うことになりました。
2、助産婦たちの選択。 彼女たちは「いのちを生かす」ことを選びました。 @この世の支配者よりも、まことの神さまを恐れた。 A軽率な判断をしないように気をつけ、いのちを守ることを優先した。 神さまは「神のいのち」を守った助産婦たちを豊かに祝福してくださいました。私たちもいのちを守り、生かす方向で神と人に仕えましょう。
<聖書引用箇所>ヘブル11:13(p438)、マタイ2:16(p3)、ルカ12:4〜5(p138)、
詩篇139:16(p1046)
「 しかし、助産婦たちは神を恐れ、エジプトの王が命じたとおりにはせず、男の子を生かしておいた。」 出エジプト記1:17
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2012年7月8日
「燃える柴」 出エジプト3:1−15 金井辰雄師
ミデヤンの地に逃れて、40年が過ぎモーセは80歳になりました。 ある日、羊を連れてホレブ山に登ったモ−セは不思議な光景を目にしました。柴が燃えているのに、木は焼け尽きないのです。近づくモ−セに、神がお声をおかけになりました。エジプトでは、イスラエルの民が労役に苦しんでいました。その叫びをみこころに留めておられた神が、彼らを救い出し、約束の地へと導くようにモ−セにお命じになったのです。しかし、モ−セは神の命令を断ろうとしました。40年前の失敗はモ−セにとって痛い経験でした。また、年も取って自分の力に自信を持てなかったからです。モ−セは、神の召しに対して何度も躊躇しました。しかし、神は私たちが出来るかどうかではなく、神に信頼し、神のことばに従うかどうかを問うているのです。みこころを行う力は神ご自身が与えてくださるのです。
<聖書引用箇所> ヘブル11:24−27(P439)、 Uコリント12:9−10(P360)
「神は仰せられた。『わたしはあなたとともにいる。これがあなたのためのしるしである。わたしがあなたを遣わすのだ。あなたが民をエジプトから導き出すとき、あなたがたは、この山で、神に仕えなければならない。』」 出エジプト記3:12
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2012年7月8日
「十人の娘のたとえ」 マタイ25:1−13 岡部高明師
主イエスはヘロデ大王がユダヤ人を懐柔するためにBC20年から再建したエルサレム神殿がやがて崩壊する日が来ると預言しました。これを聞いた弟子達の質問に答えて、主はご自身の再臨と世の終りの前兆や終末に対する備えについて教えられました。神殿崩壊の預言はAD70年のローマ軍の攻撃によるエルサレム陥落で成就しました。終末の前兆について学ぶことは大切なことですが、その日その時を知ることはだれにもできません。終末を疑って備えをしなかったり、終末を信じていてもイザとなった時に準備すればよいと考えていると大変です。間に合わないこともあるのです。花婿(キリスト)の到来を待つ花嫁(教会)の一人として、外的な「ともしび」(信仰告白など)と内的な予備の「油」(内住の聖霊)の備えについて学びましょう。
「だから、目をさましていなさい。あなたがたは、その日、その時を知らないからです。」 マタイ25:13
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2012年7月1日
「エパタ」 マルコ7:31−37 荒川泰子師
マルコ7章からイエス様がどのようにこの耳の聞こえない人や弟子たちとかかわっていかれたのかを見たいと思います。
1)ツロからシドンへの旅の中は、イエス様は弟子たちと交わり、8章でペテロがイエスをキリストであると告白するに至る、十字架の前の大切な時間であったと思われます。
2)耳の聞こえない人の一番弱いところにイエス様のほうから指を差し入れてくださり癒してくださいました。神様は私たちの人生の中での困難や弱さの中にその指を差し入れてくださり、弱いところをまさに祝福の場所にしてくださいます。
3)この耳の聞こえない人はイエス様のもとに連れてきた人がいたのでこの人はイエス様に出会うことができました。私たちの周りにいる人をイエス様のところへ連れて行けるように祈りつつ具体的に一歩踏み出していきましょう。
「そして、天を見上げ、深く嘆息して、その人に『エパタ』すなわち、『開け』と言われた。」 マルコ7:34
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