体調が悪かったり、介護が必要だったりして教会に集えない方々のために、毎週の礼拝メッセージの要約の掲載を行っています。教会に行ってみたいけど、いきなり行くのはちょっとな、という方も、ぜひ覗いていってもらえればなと思います。
でもやはり、できることならば教会に来て礼拝にでる方が、メッセージも聞きやすいし恵みも違ってきます。どうしようかなぁと迷っている方、ぜひ一度教会にも来て下さいね!
2009年7月26日
「祝福する者」 創世記47:1−31 金井つる先生
主の御心を確信してエジプトに下ったヤコブは、念願かなってヨセフと再会しました。神のやさしさ、ご配慮にどれほど感謝したことか分かりません。そして今度は、パロの前に連れてこられました。 1.ヤコブはパロを祝福しました。全能の神の祝福を受け継ぐために召された者として、その使命を果たしました。 2.ヨセフの経済政策は混乱することなくスム−ズに進みました。 3.ヤコブは自分の埋葬場所を先祖達の墓に納めて欲しいと頼みました。 最後の最後まで、神の祝福を受け継いだ者として生きることを願ったのです。私たちもまた、最後の最後までキリスト者として生きる者でありたいと思います。
「それから、ヨセフは父ヤコブを連れて来て、パロの前に立たせた。ヤコブはパロにあいさつした。」 創世記47:7
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2009年7月19日
「失われた人を救うために来たイエス」 ルカ19:1−10 金井辰雄先生
イエスがエリコの町をお通りになるという噂を耳にしたザアカイは、一目でよいからイエスにお目にかかりたいと思いました。しかし、嫌われ者のザアカイは、イエスからもさげすまれ、拒絶されることを恐れ、イチジク桑の木に登ります。ところが、イエスは、彼の名を呼び、彼の客となり、彼を受け入れ正面から向き合ってくださいました。主の愛に触れ、心が喜びと感謝で一杯になったザアカイは、「財産の半分を貧しい人に施し、だまし取った物は、四倍にして返します。」V=8 と罪を告白して、具体的な行動をもって悔い改めました。ここに、新しく造られたザアカイの姿があります。「 だれでもキリストのうちにあるなら、その人は新しく造られた者です。古いものは過ぎ去って、見よ、すべてが新しくなりました。」Uコリント5:17 私たちに必用なことは、プライドや人の目ではなく、主の前に出て行く勇気なのです。
「人の子は、失われた人を捜して救うために来たのです。」 ルカ19:10
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2009年7月19日
「神の民・エジプトに下る」 創世記46:1−34 金井つる先生
ヤコブは、「それで十分だ」という信仰に導かれました。そして、住み慣れたカナンの地を後にして、更に素晴らしい恵みのために前進しました。彼は、神に礼拝をささげ「エジプトに下ることを恐れるな。」という励ましと、「わたし自身があなたといっしょにエジプトに下る。」という臨在の約束を頂きました。そして、ヨセフとの再会に導かれ、「もう、今、私は死んでもよい。」と語りました。それは、神の真実な愛とイスラエルの民に対する約束を確認できたからです。神はやはり、私の人生の味方であったと確信できたのです。歴史を導き、今も生きて働いておられる神は、今も私たち一人一人の人生の味方となってくださるのです。
「すると仰せられた。『わたしは神、あなたの父の神である。エジプトに下ることを恐れるな。わたしはそこで、あなたを大いなる国民にするから。』」 創世記46:3
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2009年7月12日
「崩れたエリコの城壁」 ヨシュア5:10−6:21 金井辰雄先生
ヨシュア記は、モ−セの後継者となったヨシュアが、神様の導きと助けによって、イスラエルの民とともに、約束の地カナンに入国し、その先住民と戦って勝利し、全土を征服し、12の部族に分割するという45年に及ぶ歴史を扱っています。今日のテキストは、荒野の40年の旅が終わり、いよいよ約束の地カナンへ攻め入る場面ですが、要塞の町エリコが大きく彼らの前に立ちはだかりました。彼らは、どうやってこの戦いに勝利したのでしょうか。私たちの人生にも、手に負えないエリコなる城壁が立ちふさがることがあります。エリコの攻略の秘訣を学んで自分の生活にも適用して勝利を勝ち取る者となりましよう。
「共に行って、あなたがたのために、あなたがたの敵と戦い、勝利を得させてくださるのは、あなたがたの神、主である。」 ヨシュア20:4
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2009年7月12日
「受難による救いのみ業」 Tペテロ3:17、18 岡部高明先生
主イエス・キリストの受難の事実は「善を行って苦しみを受け」ているクリスチャンを励ますものです。クリスチャンが経験する苦難の中には人知では測り知ることができない神のみこころによるものがあり、その苦難を通して神のみ業が実現されることがあることを主の受難は示しています。主の受難は私たちの救いのためのものでした。主は私たちが罪から救われるために「一度」限りに「身代わり」として死んでくださり、復活し、今は神の右におられるのです。主の受難の意義を正しく理解することは、私たちが経験する苦難の意味や目的を正しく理解することにつながります。
「もし、神のみこころなら、善を行って苦しみを受けるのが、悪を行って苦しみを受けるよりよいのです。キリストも一度罪のために死なれました。正しい方が悪い人々の身代わりとなったのです。」 Tペテロ 3:17,18
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2009年7月5日
「福音のために考え方を変えなさい」 使徒10:1−48 金井辰雄先生
今日の箇所には、キリスト教の歴史上、大きな転換点となるような出来事が記されています。異邦人であるコルネリオが信仰の兄弟として受け入れられたことによって、ユダヤ人と異邦人がキリストにあって一つのからだとなるという新しい宣教の門が開かれたからです。神は敬虔な百人隊長コルネリオにペテロを招くように命じられ、コルネリオはこれに従います。ペテロは、不思議な幻を見ますが、神は幻を通してペテロの凝り固まったユダヤ的な考え方を変えさせ、福音がサマリヤを越えて地の果てに向かうように働かれました。ペテロは、外国人は汚れているという理由で彼らを避けていたからです。(勿論、それは偏見ですが。) ペテロは、聖霊の命令に従い、コルネリオの家に集まった人々に平和の福音を伝えます。すると、聖霊が彼らに臨み、ペテロは洗礼を授けます。このように救いは、全ての人に提供されているのです。私たちクリスチャンは、自分の信念に忠実に生きようとする者ではなく、神のみこころに正しく従おうとする者なのです。
「そこでペテロは、口を開いてこう言った。『これで私は、はっきりわかりました。神はかたよったことをなさらず、どの国の人であっても、神を恐れかしこみ、正義を行う人なら、神に受け入れられるのです。』」 使徒10:34,35
◇過去の礼拝メッセージ要約
※2009年の礼拝メッセージ要約
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※2008年の礼拝メッセージ要約
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