体調が悪かったり、介護が必要だったりして教会に集えない方々のために、毎週の礼拝メッセージの要約の掲載を行っています。教会に行ってみたいけど、いきなり行くのはちょっとな、という方も、ぜひ覗いていってもらえればなと思います。
でもやはり、できることならば教会に来て礼拝にでる方が、メッセージも聞きやすいし恵みも違ってきます。どうしようかなぁと迷っている方、ぜひ一度教会にも来て下さいね!
2012年1月29日
「神様に用いていただこう」 使徒の働き8:26−40 赤松勇二先生
信徒伝道者ピリポは、サマリヤで素晴らしい伝道をしました。その後彼は、御霊の導きによってエチオピヤ人の宦官に出会い、伝道をしました。そのように神様は、私たちをご自身の働きのために用いてくださるのです。
T;神様は、人々の心に潤いを与えるために私たちを用いてくださいます。
エチオピヤの宦官の心は、聖書を理解したいという切なる飢え渇きを持っていました。ピリポは、宦官に福音を伝え心の潤いを与えるために導かれたのです。
U;神様は、私たちを良き導き手となるために支え、用いてくださいます。
ピリポは、宦官の要請に応えて、聖書を説き明かしました。神様は、私たちのためにも良き導き手、良き祈り手、良き信仰の友を与えてくださっているのではないでしょうか。今度は、私たちが、主の導きを受けつつ、良き導き手として用いていただく時なのではないでしょうか。
V;神様は、十字架の贖いを伝えるために私たちを用いてくださいます。
心の潤いを与えるためにも、良き導き手となるためにも、私たちは、十字架の贖いを伝える事が大切です。神様は、そのために私たちを用いてくださるのです。信仰を持って祈りつつ、主の導きを求めましょう。
「ピリポは口を開き、この聖句から始めて、イエスのことを彼に宣べ伝えた。」 使徒の働き8:35
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2012年1月15・22日
「罪人を招くために来た主イエス」 マルコ2:13−17 金井辰雄先生
当時、収税人は軽蔑の対象でした。収税人はロ−マの権力をかさに着て、同国民から不当に多額の税を巻き上げていました。彼らは、人の道を外れ、私腹を肥やす成金で、赦しがたい罪人だと、ユダヤの人々には映っていました。しかし、イエスは収税人レビに目を留め、声をかけられました。彼は、即座に収税所から立ち上がりイエスに従いました。 そして、歓喜とともにイエスを自宅に招いて大宴会を催しました。その光景に眉をひそめたのが、いつも理屈をこねている律法学者でした。イエスは元来、罪人だと後ろ指指され、罪を自覚する者を救うために来たのです。罪を認めず、ましてや「自分は罪人ではない」と主張する人々のところではありません。罪を自覚することの恵み、それは、そこから救いを必要としている者のみが、イエスに出会う世界に招かれている点にあります。イエスの招きに応答しましょう。イエスとともに歩む物語が待ちかまえているのですから。
<聖書引用箇所> ルカ5:28(P118)、ルカ18:9(P152)、ロ−マ10:10(P305)
「イエスはこれを聞いて、彼らにこう言われた。『医者を必要とするのは丈夫な者ではなく、病人です。わたしは正しい人を招くためではなく、罪人を招くために来たのです。』」 マルコ2:17
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2012年1月15・22日
「ダビデの願いと感謝の祈り」 T歴代誌17:1〜27 金井つる先生
ダビデの生活が落ち着き民の生活も安定してきた時、彼は主のために神殿を建てたいと願いました。
1、ダビデの願い ナタンを呼んで相談しました。ナタンはすぐに賛成の意を現わしました。このダビデの願いは、純粋な信仰から出ていました。状況的に考えて、丁度良い時に見えました。
2、神の答え 神さまの答えは以外にも「ノー」でした。信仰によって主のために良いことをしようとしても、神さまが「ノー」と言われることがあります。主は更に素晴らしいことを用意して下さっていたのでした。
3、ダビデの祈り @ソロモンに譲り贈る。ふてくされたり投げやりになること無く感謝しました。A神の主権、摂理を認める。人間の優劣が物事を決めるのではありません。B御前に祈りえたのです。み言葉を握りしめて祈りに立ちあがることが大切です。私たちも勇気を頂いて大胆に祈っていく1年としましょう。
「わが神よ。あなたは、このしもべの耳にはっきり、しもべのために家を建てようと言われました。それゆえ、このしもべは、御前に祈りえたのです。」 T歴代誌17:25
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2012年1月8日
「バプテスマを受ける」 マタイ3:1−17 金井辰雄先生
ヨハネがヨルダン川で悔い改めのバプテスマ(洗礼)を授けていると、イエスご自身がヨハネのもとに現れてバプテスマを希望されました。 イエスがバプテスマを受けられると、「これは、わたしの愛する子、わたしはこれを喜ぶ。」と天の父なる神様の声がありました。 イエスは、神と人に愛され、神と人を愛し、神に対して従順になるという素晴らしい従順を私たちに示されたのです。人間の罪は、人間によってでしか贖うことが出来ません。救い主としてイエスは、罪は別として完全な人としてお生まれになり、さらに、公生涯を始める前に、改めてご自分を人間と同じ立場に完全に置いてくださることをバプテスマを通してお示しになったのです。神であるお方が、謙遜にも低くなって、人間のレベルに下りてくださった。それが、イエスのバプテスマとそれを承認する父なる神様と御霊の臨在によって確認されたのです。洗礼を受けた人も、まだ洗礼を受けていない人も、導いてくださるイエス様に従順になりましょう。
<聖書引用箇所>コロサイ2:12(P391)、ヘブル2:17(P426)、Tペテロ4:2(457)、 使徒2:42,47(P231)
「また、天からこう告げる声が聞こえた。『これは、わたしの愛する子、わたしはこれを喜ぶ。』」 マタイ3:17
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2012年1月8日
「やもめと不正な裁判官」 ルカ18:1-8 岡部高明先生
やもめと不正な裁判官のたとえの中心は、神は厳しい信仰の戦いの中で祈り続ける選びの民のために必ず正しいさばきをなさること、そのために主イエスが再臨されることにあります。しかし、せっかく主が再臨されるのに「地上に信仰が見られるでしょうか」との懸念も示されています。これは主が再臨される終りの時代に見られる信仰者の妥協や背教の危険を警告した言葉です。神を恐れない多元主義や現世主義に基づく嘲笑や批判を恐れて妥協したり、誘惑に屈して眠りこけて主に会う備えを怠ることがないよう祈りに励みましょう。
「まして神は、夜昼神を呼び求めている選民のためにさばきをつけないで、いつまでもそのことを放っておかれることがあるでしょうか。あなたがたに言いますが、神は、すみやかに彼らのために正しいさばきをしてくださいます。しかし、人の子が来たとき、はたして地上に信仰が見られるでしょうか。」 ルカ18:7,8
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2012年1月1日
「天を見上げて生きよう」 コロサイ3:1−4 金井辰雄先生
2012年は、「天を見上げて生きよう」というスロ−ガンを掲げて歩んで行きたいと思います。 人間は、地上のことに執着する傾向が強いものです。 地上のことばかりを思っていると、思い煩いが増して、心が暗くなってしまいます。 しかし、天にあるものを思えば、心がまっすぐになり、清らかで、安らかで、楽しくなり、暗い思いが消え去ります。イエス様は、地上にばかり目を留めていた弟子たちの目を天に向けさせるよう訓練されました。 クリスチャンの人生は、キリストとともに死んで、よみがえらされることから始まります。イエス様は、ご自分のうちにあるすべての者にこのいのちを約束されました。復活の信仰によってキリストとともによみがえらされたのなら、上にあるものを求めなさい。これがキリスト者の歩みの基本原則なのです。上とは、キリストが神の御子としての権威を持って支配している世界を求めるということです。 今は、キリストのいのちを持つ人、持たない人も、それほど違わないように見えるかもしれません。しかし、やがて、いっさいが明るみに出され、救われた者はキリストの再臨のとき、栄光のうちに現れるのです。
<聖書引用箇所>Tヨハネ2:16(P466)、ガラテヤ2:20(P366)
「あなたがたは、地上のものを思わず、天にあるものを思いなさい。」 コロサイ3:2
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