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メッセージ集:2011年6月

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体調が悪かったり、介護が必要だったりして教会に集えない方々のために、毎週の礼拝メッセージの要約の掲載を行っています。教会に行ってみたいけど、いきなり行くのはちょっとな、という方も、ぜひ覗いていってもらえればなと思います。

でもやはり、できることならば教会に来て礼拝にでる方が、メッセージも聞きやすいし恵みも違ってきます。どうしようかなぁと迷っている方、ぜひ一度教会にも来て下さいね!

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2011年6月26日

「実り豊かな人生への招き」 ヨハネ15:1−17 金井つる先生

イエスさまは十字架を前にして、ご自分がいなくなったあとも、弟子たちが実り豊かな信仰生活を続けていくために、大切なことを話された。それがこのぶどうの木のたとえである。
1、実を結ぶために必要なこと
1)イエス・キリストにつながる。イエスさまが幹であり私達は枝である。私達は幹を離れては、何もすることができない。 2)互いに愛し合う。教会全体が同じ主を仰いでいるのだから、互いに愛し合うことが大切である。 3)イエスの友とされている恵みを覚える。
イエスさまは、弟子たちのことをしもべとは呼ばず、友と呼んでくださった。同じように私達に対しても、友と呼んでくださる。私達は決して一人ではない。
2、選びの主権は神ご自身にある
1)イエスさまが私達を選んでくださった。エペソ1章4〜5節 2)選びの基準は、人間的な価値基準ではない。 3)選びの目的は実を結ぶためである。
私達は、イエスさまに留まり続けることにより、実り豊かな人生を送るように招かれているのである。

「わたしはぶどうの木で、あなたがたは枝です。人がわたしにとどまり、わたしもその人の中にとどまっているなら、そういう人は多くの実を結びます。わたしを離れては、あなたがたは何もすることができないからです。」   ヨハネ15:5

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2011年6月26日

「社会におけるクリスチャンの役割」 マタイ5:13−16 井上聡兄

1週間の中で最も大切な時間は、教会において神様を礼拝する時間であると思います。しかし、私たちは1週間のほとんどを、家庭や職場(学校)、地域といった社会の中で過ごしています。
1 現代社会(=終わりの日)の特徴
 自分中心主義、物質(お金)中心主義、快楽中心主義 (Uテモテ3:1〜5)
2 「地の塩」としてのクリスチャンの役割
3 「世の光」としてのクリスチャンの役割
4 「愛の行い」を通して、人々に天の神様を指し示す
  「良い行い」(マタイ5:16)とは、「愛すること」です。
・「愛」は、最も大切な神様の戒めです。(マルコ12:28〜31) 
・「愛」は、私たちの一生の最後に残るもの、そして永遠に残るものです。(Tコリント13:13)
・「愛」は、与えても与えても完全には返すことのできない負債です。(ローマ13:8)
  「良い行い」、すなわちイエス様の愛を土台とした「愛の行い」を通して、人々に天の神様を指し示していくこと、このことが社会における私たちクリスチャンの究極の役割です。私たちには、家庭での立場、職場(学校)での立場、地域での立場といった、いくつかの立場があります。どの立場においても、クリスチャンっていいな、いや、クリスチャンが信じている神様ってすばらしいな、私もあの人が信じている神様を信じてみたいな、と思われるようなクリスチャンになれるように、日々お祈りしながらめざしてまいりましょう。そのために、この地上での生涯を全うするときまで、愛する者として成長させていただこうではありませんか。

「このように、あなたがたの光を人々の前で輝かせ、人々があなたがたの良い行いを見て、天におられるあなたがたの父をあがめるようにしなさい。」   マタイ5:16

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2011年6月19日

「神の喜び」 ルカ15:1−7 金井辰雄先生

イエス様が、収税人たちと共に食事の交わりをされていると、パリサイ人・律法学者たちの間につぶやきが起こりました。「この人は、罪人たちを受け入れて、食事までいっしょにする。」 1節。 そうした非難に対する弁証として、たとえをもって答えられました。 いなくなった羊を捜す牧者のたとえは、良く知っていて馴染み深いことを語り、知られていない事実を明らかにしようとするものです。一匹による喜びが、99匹より重いという逆説は、聴衆や読者の世界を完全にひっくり返し、たとえの焦点を劇的に展開させています。 一匹の重さと99匹の重さを比べる中で、イエス様はむしろ一匹の価値に焦点を合わせていることが分かります。神の目には、私たち人間も迷い出た者なのです。そして、迷い出た私たちを真の神のところに連れ戻すために来てくださったのがイエス様なのです。「良い牧者は、羊のために命を捨てます。」 ヨハネ10:11と言われたように、十字架に掛かり死んでくださり、救いの道を開いてくださったのです。神様の目には、私たち一人一人はそのように尊い存在であり、私たちが悔い改めて神様のもとに立ち帰ることが神様の喜びなのです。

「あなたがたに言いますが、それと同じように、ひとりの罪人が悔い改めるなら、悔い改める必要のない九十九人の正しい人にまさる喜びが天にあるのです。」  ルカ15:7

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2011年6月12日

「心配しない」 マタイ6:24−34 金井辰雄先生

万物を創造され今も支配しておられる天の父を知らない人々にとっては、毎日は偶然であり、人生に価値や意味を見出すことは困難なことでしょう。だから、出来るだけおいしいものを食べ、綺麗なものを着て、おもしろおかしく暮らそうということになります。 グルメやファッションが彼らの関心事であり、そのため人と比べてあせったり思い煩ったりします。しかし、神様を信じる私たちは、すべてのことをご存知の神様が必要を満たしてくださることを知っています。だから、私たちがすべき事は心配ではなく信頼なのです。 それなのに、心配するのは「信仰の薄い人たち」(30節)とあるように、結局、性格の問題ではなく信仰の問題なのです。ですから、空の鳥や野のゆりを眺めて、神様の約束を絶えず思い起こすことが大切です。心の中の思い煩いは、なかなか追い出すことが出来ません。追い出そうとすればするほど、かえってとらわれてしまいます。唯一の解決は、私たちの心が別のことでいっぱいになることです。 すなわち、神様に従うことを何よりも大切にして、神様が喜んでくださることを一番に考えて、すべきことを行うのです。そうすれば、思い煩いから解放され、必要なものは与えられると、イエス様は約束しています。

「だから、神の国とその義とをまず第一に求めなさい。そうすれば、それに加えて、これらのものはすべて与えられます。」  マタイ6:33

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2011年6月12日

「霊の空き家の危険」 ルカ11:14−28 岡部高明先生

今日は聖霊降臨日(ペンテコステ)です。主イエスは在世当時、悪霊追放の業を通しても人々を癒していましたが、反対者たちは悪霊どものかしらベルゼブルによると批判し、天からのしるしを求めました。主はサタン界の内輪もめを否定し、ユダヤ人たちの悪霊追放術を超える「神の指」による主の業によって既に神の国(支配)が到来していることを示されました。追放された悪霊が空き家になっていた元の家に戻る話(ルカ11:24-26)から、悪霊追放だけの霊の真空状態の危険と、「強い人」より「もっと強い者」(11:21,22)である主による支配(御霊の満たし)と、神のことばに従う生き方の幸福を教えています。

「また、酒に酔ってはいけません。そこには放蕩があるからです。御霊に満たされなさい。詩と賛美と霊の歌とをもって、互いに語り、主に向かって、心から歌い、また賛美しなさい。」   エペソ5:18,19

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2011年6月5日

「主を恐れる者の幸い」 詩篇34:1−22 金井辰雄先生

34篇は、ダビデがサウル王から命を狙われ、ペリシテの王アキシのところに逃げますが、そこで死の危機に置かれた時、気が狂った振りをしてその危機を脱しました。その時の感謝を歌ったものです。
本論T 主を恐れる者への保護
ダビデは、死の恐怖に陥り、悩みにとらわれ、言い知れぬ苦しみに遭いました。しかし、そのような中で主に助けと導きを叫び求めた時、主はその叫びと祈りに答えて救い出してくださいました。神様は、御使いたちを送り、神様ご自身が盾となって私たちを守ってくださるのです。 しかし、それにはただ一つ条件があります。それは、主を恐れる者であるということです。
本論U 主を恐れる者への充足
ダビデは、主を恐れる者は、乏しいことはない。良いものに何一つ欠けることはないと歌っています。主は、私たちの羊飼いだからです。 私たちが本当に願うべきものは、永遠なるものであり、それはみな神様の中にあります。
結び) ですから、私たちが神様に深く出会えば出会うほど、私たちは幸せになり、うらやましいものがなくなります。私たちが依然として世の中をうらやましく思う理由は、神様との深い交わりがないためです。

「主は心の打ち砕かれた者の近くにおられ、霊の砕かれた者を救われる。」  詩篇34:18


◇過去の礼拝メッセージ要約

※2011年の礼拝メッセージ要約
 1月  2月  3月  4月  5月

※2010年の礼拝メッセージ要約
 1月  2月  3月  4月  5月  6月  7月  8月  9月  10月  11月  12月

※2009年の礼拝メッセージ要約
 1月  2月  3月  4月  5月  6月  7月  8月  9月  10月  11月  12月

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 4月  5月  6月  7月  8月  9月  10月  11月  12月

※2003年の礼拝メッセージ要約
※2002年の礼拝メッセージ要約
※2001年の礼拝メッセージ要約


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