体調が悪かったり、介護が必要だったりして教会に集えない方々のために、毎週の礼拝メッセージの要約の掲載を行っています。教会に行ってみたいけど、いきなり行くのはちょっとな、という方も、ぜひ覗いていってもらえればなと思います。
でもやはり、できることならば教会に来て礼拝にでる方が、メッセージも聞きやすいし恵みも違ってきます。どうしようかなぁと迷っている方、ぜひ一度教会にも来て下さいね!
2008年4月27日
「へりくだる者への恵み」 U列王記5:1−19 金井辰雄先生
アラムの国に、ナアマンという立派な将軍がいました。彼は、優れた指導者であり、地位、信頼、尊敬を人々から受けていました。しかし、彼は、当時不治の病と恐れられていたツァラ−トに冒され、人知れず悩んでいました。しかし、幸いなことに、イスラエル神の預言者なら治せるという情報を得ました。早速、神の預言者に会うためにイスラエルに向かいました。エリシャの召使いが彼の所にやって来て、「ヨルダン川へ行って7たび身を洗いなさい」と伝言を伝えますが、ナアマンは、カンカンに怒って帰途に着いてしまいました。彼の惨めなプライドが神に従う障害となっていたのです。しかし、良い僕の助言によって、そのことを悟ったナアマンは、再びヨルダン川に行って、7度身を浸したところ、完全に癒されるという恵みに与りました。それだけでなく、世界中にイスラエルの神以外に真の神はいないという恵みにも与ることができたのです。
「私は今、イスラエルのほか、世界のどこにも神はおられないことを知りました。」 U列王記5:15
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2008年4月20日
「新たなる出発」 ヨシュア記1:1−9 金井つる先生
モ−セの死後、ヨシュアは新しい時代の指導者として神様に立てられました。ヨシュアの仕事は、すべての民を率いて、ヨルダン川を渡り、約束の地を占領することでした。神様はヨシュアに3つのことを命じられました。
1.約束の地に行きなさい。 神様が与えてくださる地を、ヨシュアと民は、信仰と従順によって得るのです。
2.強くあれ。雄々しくあれ。 神の国の働きは、恐れとおののきを除き、神から勇気を頂くことから始まるのです。
3.すべての律法を守り行いなさい。 聖書を良く読み、昼も夜も口ずさみ守り行うなら、あなたは繁栄する。
これらの命令は、私たちに対する命令でもあります。実行しましょう。
「強くあれ。雄々しくあれ。わたしが彼らに与えるとその先祖たちに誓った地を、あなたは、この民に継がせなければならないからだ。」 ヨシュア記1:6
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2008年4月13日
「最初の罪」 創世記3:1−24 金井辰雄先生
世界の創造のわざを終えた時、神はお造りになったすべてのものをご覧になり、「それは非常に良かった。」創世記1:31とおっしゃいました。ところが、今日の世界はどうでしょうか。目や耳を覆いたくなる悲しい現実で満ち溢れています。どうして「非常に良かった」世界が今のようになってしまったのでしょうか。聖書には、その原因が書かれています。創世記3章は、「堕落と原福音」と呼ばれている箇所です。悪魔が蛇を通して、アダムとエバを誘惑して、神の命令に背かせ、罪を犯させました。その結果、神との交わりは断たれ、霊的に死んだ状態となり、のろわれてしまったのです。この時より被造物世界に罪が入り、被造物全体がうめき苦しむことになったのです。しかし、愛なる神は、イエス・キリストを通して回復の望みをおいてくださったのです。
「すなわち、ちょうどひとりの人の不従順によって多くの人が罪人とされたのと同様に、ひとりの従順によって多くの人が義人とされるのです。」 ロ−マ5:19
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2008年4月13日
「復活の主の顕現」 マタイ28:16−20 岡部高明先生
復活された主の顕現は複数回が四福音書に記録されていますが、マタイはガリラヤの山での顕現に焦点を合わせて、その重要性を示しています。復活された主は、全天全地に及ぶすべての領域における権威が与えられていることを宣言し、すべての人々を弟子としてバプテスマを授け、イエス・キリストの教えを守るように教えよとの大宣教命令を発せられ、同時にその使命を果たすために主ご自身が弟子たちと共におられることを約束されました。この使命と約束は弟子である私たちにも与えられているのです。
「それゆえ、あなたがたは行って、あらゆる国の人々を弟子としなさい。そして、父、子、聖霊の御名によってバプテスマを授け、また、わたしがあなたがたに命じておいたすべてのことを守るように、彼らを教えなさい。見よ。わたしは、世の終わりまで、いつも、あなたがたとともにいます。」 マタイ28:19、20
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2008年4月6日
「ニネベを惜しむ神の愛」 ヨナ4:1−11 金井辰雄先生
ヨナは、神の命令に従って伝道しました。その結果、ニネベの人々は悔い改め、悪の道から立ち帰りました。それで、神は彼らに下すと言っておられたわざわいを思いなおされました。しかし、そのことはヨナのつまずきとなりました。放蕩息子のたとえに出てくる兄と同じです。神の義と愛の調和の問題です。ヨナは神が選民であるユダヤ人以外の民をあわれむことに納得できなかったのです。そこで神は、ヨナの不機嫌を直そうとして、一本のとうごまとニネベの民の命を比較しながら忍耐強く説得されました。神は、たとい異邦の民であっても選民であっても分け隔てなく救いを与え、変わらぬ愛と恵みを注いでくださるのです。このことは、私たちすべてのクリスチャンによって認識されるべきであり、ここから私たちの宣教が始められなければならないのです。
「主は仰せられた。『あなたは、自分で骨折らず、育てもせず、一夜で生え、一夜で滅びたこのとうごまを惜しんでいる。まして、わたしは、この大きな町ニネベを惜しまないでいられようか。そこには、右も左もわきまえない十二万以上の人間と、数多くの家畜とがいるではないか。』」 ヨナ4:10,11
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