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メッセージ集:2010年10月

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体調が悪かったり、介護が必要だったりして教会に集えない方々のために、毎週の礼拝メッセージの要約の掲載を行っています。教会に行ってみたいけど、いきなり行くのはちょっとな、という方も、ぜひ覗いていってもらえればなと思います。

でもやはり、できることならば教会に来て礼拝にでる方が、メッセージも聞きやすいし恵みも違ってきます。どうしようかなぁと迷っている方、ぜひ一度教会にも来て下さいね!

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2010年10月31日

「一番大切なもの」 Tコリント13:13 赤松 弘先生

今日は、クリスチャンの信仰生活において大切なことは何かを共に考え、神様の祝福にあずかりましょう。 聖書では大切なことは、「信仰と希望と愛です。」と教えています。私たちは、何を信じ頼りにして生きているでしょうか。 希望とは、どんな希望を持って歩んだらよいのだろうか。 愛とは、どんな愛が必要であり、また、愛に生きるべきだろうか。簡単なようで難しい3つのこと、信仰、希望、愛を祈り求め神様の恵みを信じて確信して力強く生きる者でありたい。

「こういうわけで、いつまでも残るものは信仰と希望と愛です。その中で一番すぐれているのは愛です。」 Tコリント13:13

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2010年10月24日

「キリストの愛による一致」 ピリピ2:1〜11 金井つる先生

ピリピの教会は、パウロの働きを支え、よく協力した素晴らしい教会でした。しかし、残念なことに教会の中に一致出来ない人たちがいました。パウロは、教会がキリストの愛によって一致することを切に願いました。パウロは、教会の平和と一致を乱す自己中心と虚栄を捨てるように勧めます。そして一致を生み出す(1)キリストにある励まし、(2)謙遜と思いやり、(3)他の人の人生を大切にするように、と励ましました。これらのことは、イエス・キリストの模範に倣うことによって初めて可能になります。キリストは、私たちを救うために、神の立場を捨てて、人間と同じ姿になってくださいました。私たちもキリストの愛によって一致を保ち、愛し合い仕え合っていきましょう。

「何事でも自己中心や虚栄からすることなく、へりくだって、互いに人を自分よりもすぐれた者と思いなさい。」 ピリピ2:3

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2010年10月17日

「主の御手がここに」 ルツ記1:1−22 金井辰雄先生

ききんの時に、一家でモアブへ逃れていたナオミは、そこで夫と2人の息子を失い、ユダの地に帰ることを決断します。目の前の困難な状況を変えようと焦るあまり、自分勝手にモアブの地に出て行っているようなことはないでしょうか。ナオミは、そこで夫と2人の息子を失います。見える幸せを追いかけて、主以外に頼りにしているものがあるとき、主はそれを取り除いて謙遜にさせ、主ご自身を求めさせることがあります。ナオミは、モアブの地で頼りにしていた夫と2人の息子を失いましたが、そのことを通してナオミは主に立ち返ったのです。ナオミの説得によって、オルパは実家に帰って行きましたが、ルツはあくまでもナオミといることを固く決心します。人生のどん底にいると感じるときでも、主は私たちに慰めを備えてくださいます。ナオミは、ルツの存在を通してもたらされる恵みがどんなに素晴らしいものであるか知りませんでした。私たちは、失ったものばかりを数えるのではなく、今手にしている大切なものに目を向け、主の大きな御業に期待しましょう。

「ルツは言った。『あなたを捨て、あなたから別れて帰るように、私にしむけないでください。あなたの行かれる所へ私も行き、あなたの住まれる所に私も住みます。あなたの民は私の民、あなたの神は私の神です。 あなたの死なれる所で私は死に、そこに葬られたいのです。もし死によっても私があなたから離れるようなことがあったら、主が幾重にも私を罰してくださるように。』」 ルツ記1:16、17

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2010年10月17日

「主は生きておられる」 T列王記17:1−16 金井つる先生

アハブの治世は、霊的に暗黒の時代でした。この時、神様に召されて立ち上がったのが、神の人エリヤでした。彼のただ一つの願いは、民が真の神に立ち返ることでした。
1.生きて働かれる神
「私の仕えているイスラエルの神、主は生きておられる。」この宣言をもって、彼はアハブ王の前に立ちました。
2.エリヤを導かれる神
神様は、エリヤを人里離れたところに導かれました。いったん退いて、前進するように導かれたのです。そして、一歩一歩神の備えのあるところへ導かれました。
3.やもめにエリヤを通して語られる神
厳しい状況にあるやもめに対して、「恐れてはいけません。まず、私のために・・」と信仰を求められました。かめの粉は尽きず、つぼの油はなくならない。真の供給は神ご自身です。信じて従う時に、私たちは神の栄光を体験することが出来るのです。

「私の仕えているイスラエルの神、主は生きておられる。私のことばによらなければ、ここ二、三年の間は露も雨も降らないであろう。」  T列王記17:1

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2010年10月10日

「サウル王の失脚」 Tサムエル15:1−31 金井辰雄先生

この章は、何故サウルが決定的に王としての資格を奪われ、これを部下のダビデに譲らなければならなくなったのかを説明する章です。サウルの問題は、どこにあったのでしょうか。 サウルがイスラエルの初代の王となり、軍事的成功を収め、兵も多くなった頃、サムエルを通してアマレク聖絶の命令がありました。しかし、サウルは、アマレク人の王アガグと羊や牛の最も良いものを取っておき、つまらないものだけを聖絶したのです。このことは、神に大きな痛みと失望を与えることになりました。しかし、当の本人は深い罪意識もなく主のことばを守ったと言い張ります。するとサムエルは、「主は主の御声に聞き従うことほどに、全焼のいけにえや、その他のいけにえを喜ばれるだろうか。見よ。聞き従うことは、いけにえにまさり、耳を傾けることは、雄羊の脂肪にまさる。 まことに、そむくことは占いの罪、従わないことは偶像礼拝の罪だ。」V=22と指摘しました。 イスラエルの王に求められたものは、神のみことばに対する信頼と服従だったのです。また、罪を認め、悔い改めるという謙虚と正直さも必要でした。

「するとサムエルは言った。『主は主の御声に聞き従うことほどに、全焼のいけにえや、その他のいけにえを喜ばれるだろうか。見よ。聞き従うことは、いけにえにまさり、耳を傾けることは、雄羊の脂肪にまさる。 まことに、そむくことは占いの罪、従わないことは偶像礼拝の罪だ。あなたが主のことばを退けたので、主もあなたを王位から退けた。』」    Tサムエル15:22,23

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2010年10月10日

「にせ教師の本性と教えの危険性」 Uペテロ2:10-22 岡部高明先生

ペテロはここで、にせ教師たちとその教えの危険性に対して激しい非難を浴びせています。ペテロは彼らの教えの誤りと狡猾さに対して怒り、また彼らの教えや生き方に巻き込まれやすい信者のことを憂えています。彼らは尊大で不義の報酬を愛したバラムの道に歩み、誤った生き方から逃れようとしている人々を誘惑して再び滅びの奴隷とします。彼らに対して、私たちもペテロと同様にその誤りを指摘し、神のさばきを語りましょう。またそのような教えに巻き込まれそうな信徒に対しては、愛とまことをもってその教えの誤りを示して、真理の道へ導きましょう。

「主であり救い主であるイエス・キリストを知ることによって世の汚れからのがれ、その後再びそれに巻き込まれて征服されるなら、そのような人たちの終わりの状態は、初めの状態よりももっと悪いものとなります。」 ペテロの手紙 第二 2:20

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2010年10月3日

「使命を負う者の道」 使徒20:17-38 金井辰雄先生

パウロたちの一行は五旬節までにエルサレムに到着することを目指して急いでいました。数年に渡って伝道した思い出の地エペソにすら、パウロは立ち寄ることはしませんでした。その代わり、パウロは、ミレトでエペソの長老たちを呼び集めました。 ここで語られた告別説教は、感動的で愛にあふれたメッセ−ジとなりました。羊の群れのために命をささげる優しい牧者の心が私たちの心を打ちます。 パウロの告別説教を通して、パウロが神様から与えられた使命つまり福音宣教をどのように理解していたかが分かります。パウロにとって、福音を証することは命より大切なことでした。その情熱があったからこそパウロの宣教には力があったのです。また、エペソの教会を離れるに際し、今後様々な試練や戦いに直面することが予測される中で、みことばを正しく教え、また熱心に学ぶべきことを勧めた上で、最後に神のみことばに全面的に信頼して委ねたのです。 神のみことばこそが教会を成長させるものだからです。

「けれども、私が自分の走るべき行程を走り尽くし、主イエスから受けた、神の恵みの福音をあかしする任務を果たし終えることができるなら、私のいのちは少しも惜しいとは思いません。」   使徒20:24


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※2008年の礼拝メッセージ要約
 4月  5月  6月  7月  8月  9月  10月  11月  12月

※2003年の礼拝メッセージ要約
※2002年の礼拝メッセージ要約
※2001年の礼拝メッセージ要約


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