体調が悪かったり、介護が必要だったりして教会に集えない方々のために、毎週の礼拝メッセージの要約の掲載を行っています。教会に行ってみたいけど、いきなり行くのはちょっとな、という方も、ぜひ覗いていってもらえればなと思います。
でもやはり、できることならば教会に来て礼拝にでる方が、メッセージも聞きやすいし恵みも違ってきます。どうしようかなぁと迷っている方、ぜひ一度教会にも来て下さいね!
2010年5月30日
「主は決してあなたを捨てない」 創世記 12:1〜20 奥倉芳一先生
私たちは最初に主を信じる時に信仰が試されます。そして、主を信じた後にも信仰が試される
ことがあるのです。
本論1:アブラムに対する主のことばとアブラムの応答
アブラムに対して主は命令と約束を語られました。そして、その主のことばにアブラムは従いました。ところが、主がアブラムに知らされなかったことがいくつかありました。
本論2:信じる時に信仰が試される
アブラムに知らされなかったことと、なぜそれらについて主は明らかにされなかったのか。
本論3:信じた後で信仰が試される
次々と起こる試練。
結論
@神様が言われること(神のことば)を信じますか。
A神様が御業をなしてくださることを信じますか。
B神様の愛が変わらない(決して見捨てない)ことを信じますか。
「見よ。わたしはあなたとともにあり、あなたがどこへ行っても、あなたを守り、あなたをこの地に連れ戻そう。わたしは、あなたに約束したことを成し遂げるまで、決してあなたを捨てない。」創世記 28:15
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2010年5月23日
「みことばを実行する」 ヤコブ1:19−27 金井つる先生
ヤコブは、神のことばに対して3つの責任があると述べています。
1.みことばを受け入れること。
まず何よりも神様に耳を傾け、よく聞きましょう。語るときは十分に考えてから語り、自分の意見を押しつけたり、感情的に怒りを爆発させないようにしましょう。みことばが、私たちの心を守ってくれます。
2.みことばを実行すること。
みことばを聞くだけ、知っているだけでは良くありません。行いによって祝福されるのです。
3.みことばを共有すること。
イザヤは、まず神を見、次に自分を見、そして自分が仕えるべき世の人々の必要を見ました。私たちもまた、神を知り、自分が神に愛されていることを知っています。ですから、私たちもまた、困っている人や助けを必要としている人々の世話をし、助けることが出来るのです。
「また、みことばを実行する人になりなさい。自分を欺いて、ただ聞くだけの者であってはいけません。」 ヤコブ1:22
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2010年5月16日
「失われた人を救うために来た主イエス」 ルカ19:1−10 金井辰雄先生
ザアカイは、イエス様がエリコを通る噂を聞いて一目見ようと出かけました。しかし、群衆のため見ることができません。そこで、イチジク桑の木に登りました。私たちにとって必要なのは、プライドや人の目ではなく主の前に出て行く勇気です。イエス様は、ザアカイの名を呼び、彼の客人となってくださいました。人々は、「あの人は、罪人の客になった」と言ってつぶやきましたが、ザアカイは「主よ。ご覧ください。私の財産の半分を貧しい人たちに施します。また、だれからでも、私がだまし取った物は、4倍にして返します。」と、行いを持って悔い改めの告白をしたのです。 主を受け入れたザアカイの心は、喜びで満たされました。もはやお金と権力と名誉は、彼にとって価値あるものではなくなりました。イエス様が最高の価値になったのです。このように本当にイエス様に出会った人は、心が新しくされ価値観も変えられるのです。
「人の子は、失われた人を捜して救うために来たのです。」 ルカ19:10
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2010年5月16日
「逆境の中に踏みとどまる」 ヤコブ1:1−18 金井つる先生
私たちの人生には、試練や困難、誘惑はつきものです。思うように事が進まずいらだちを覚えることもあるかも知れません。しかし、ヤコブは“試練に会うときは、それをこの上もない喜びと思いなさい”と語っています。何故なら試練を通して私たちは、忍耐が与えられ成熟したキリスト者となることができるからです。神様は私たちに神の知恵を求めて生きるようにと願っています。神様は誰にでもとがめることなく、すべての良いものを与えてくださるのです。少しも疑わずに信じて願いましょう。そして、試練を恐れず、試練を喜ぶ心を与えて頂きましょう。更なる成熟を目指して歩みましょう。
「私の兄弟たち。さまざまな試練に会うときは、それをこの上もない喜びと思いなさい。」 ヤコブ1:2
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2010年5月9日
「ノ−という答え」 Uサムエル12:20 金井辰雄先生
子どもは「ダメ」ということばを聞くまでは、無邪気で可愛いものです。ところが 「ダメ」と言われると、手が付けられないほど泣きわめいてしつこく粘るものです。 親は、子どもがまだ幼いうちから「ダメ」「ノ−」と言う答えもあるのだということを分からせることが大切です。そうすれば大きくなって、自分の望み通りにいかないことが人生に起こったときに、対処していくことが出来るでしょう。また、自分の思いではなく、神の御心に従えるようにも祈り育てる必要があります。 12章は、罪を悔い改めたダビデのことが記されています。 ダビデは、息子の病が癒されるように神に祈りました。しかし、真心からの願いも空しく、息子は死んでしまいました。 すると、ダビデはわがままな子どものように怒ったりせず、主の宮に入り神を礼拝したのです。 私たちも、 苦しい時、助けを必要とする時、神に祈ります。 しかし、神の答えが自分の願う通りでなくても、私たちは、なおも神を信頼し続けなければなりません。 神が「ノ−」と答えても受け入れることを学んでいるでしょうか。
「するとダビデは地から起き上がり、からだを洗って身に油を塗り、着物を着替えて、主の宮に入り、礼拝をしてから、自分の家へ帰った。そして食事の用意をさせて、食事をとった。」 Uサムエル12:20
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2010年5月9日
「主を知る者の品格を」 Uペテロ 1:1-11 岡部高明先生
私たちは「主イエスを知る」ことによって、イエス・キリストの義によって贖われ、すばらしい約束(キリストの来臨と正義の住む新しい天と新しい地など)を与えられ、世にある欲のもたらす滅びを免れ、神のご性質にあずかる者とされました。そこでペテロは、この約束の実現に向かう私たちが主を知る者としてふさわしい霊的・道徳的な備えと成長に熱心に取り組むようにと勧めています。主は神としての御力によって(1:3)私たちに主を知る者としてふさわしい品格を備えてくださるのです。
「こういうわけですから、あなたがたは、あらゆる努力をして、信仰には徳を、徳には知識を、知識には自制を、自制には忍耐を、忍耐には敬虔を、敬虔には兄弟愛を、兄弟愛には愛を加えなさい。これらがあなたがたに備わり、ますます豊かになるなら、あなたがたは、私たちの主イエス・キリストを知る点で、役に立たない者とか、実を結ばない者になることはありません。」 ペテロの手紙 第二 1:5-8
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2010年5月2日
「恐れない秘訣」 ルカ12:1−12 金井辰雄先生
箴言29:25,26には、「人を恐れるとわなにかかる。しかし主に信頼する者は守られる。 支配者の顔色をうかがう者は多い。しかし人をさばくのは主である。」と教えられています。 支配者の顔色を伺い、上司の機嫌をとり、権力者におもねる者が多いのは、古今東西を問いません。 しかし、最終的に人をさばき、全ての人の運命を決定されるのは主である、ということを知る人も少ないのです。 12章からは、イエス様の真の弟子になるための教えが書いてあります。 イエス様がパリサイ人の偽善に気をつけるようにと言っているのは、彼らの偽善が神ではなく権力者(人)を恐れるところから、偽善的な生き方が生じているからです。私たちが恐れなければならないのは、絶対的な主権を持つ神様なのです。そればかりか、主は一羽の雀のことさえ忘れていないばかりか、私たちの髪の毛の数さえ完全にご存知で、私たちを守り導いてくださるのです。だから、主に信頼して勇気を持って大胆に歩むべきなのです。
「恐れなければならない方を、あなたがたに教えてあげましょう。殺したあとで、ゲヘナに投げ込む権威を持っておられる方を恐れなさい。そうです。あなたがたに言います。この方を恐れなさい。」 ルカ12:5
◇過去の礼拝メッセージ要約
※2009年の礼拝メッセージ要約
1月
2月
3月
4月
5月
6月
7月
8月
9月
10月
11月
12月
※2008年の礼拝メッセージ要約
4月
5月
6月
7月
8月
9月
10月
11月
12月
※2003年の礼拝メッセージ要約
※2002年の礼拝メッセージ要約
※2001年の礼拝メッセージ要約
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