体調が悪かったり、介護が必要だったりして教会に集えない方々のために、毎週の礼拝メッセージの要約の掲載を行っています。教会に行ってみたいけど、いきなり行くのはちょっとな、という方も、ぜひ覗いていってもらえればなと思います。
でもやはり、できることならば教会に来て礼拝にでる方が、メッセージも聞きやすいし恵みも違ってきます。どうしようかなぁと迷っている方、ぜひ一度教会にも来て下さいね!
2010年7月25日
「だれが罪を赦すことが出来るのか」 マルコ2:1−12 金井辰雄先生
イエス様が再びカペナウムに戻られると、大勢の人々がイエス様のところに集まって来ました。そこに中風の人が4人の友達に担がれて連れてこられました。しかし、群衆のためにイエス様に直接会うことが出来ません。そこで、屋根をはがして病人を吊り降ろしました。イエス様は彼らの信仰を見て、中風の人に「子よ。あなたの罪は赦された。」と宣言なさいました。信仰は、人間的には非常識だと思われるようなことでも恐れず行わせ、人をひたむきな生き方へと導いてくれるものです。逆に、常識的で論理的で健全に見えることの中に、実はイエス様に対する絶対の信頼において、不信仰がひそんでいる場合もあるのです。その結果、いのちと力を失うことにもなりかねません。 日本のクリスチャンに力がないのは、案外このあたりに本当の原因があるのかも知れません。律法学者は、イエス様のことばを聞いて「神をけがしているのだ。神のほか、だれが罪を赦すことが出来よう。」とつぶやきます。しかし、この奇跡を通して、イエス様には罪を赦し、病気を癒す神の力があることが実証されたのです。
「 『人の子が地上で罪を赦す権威を持っていることを、あなたがたに知らせるために。』」こう言ってから、中風の人に、」 マルコ2:10
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2010年7月25日
「良い生き方によって証しする」 ヤコブ3:1−18 金井つる先生
ヤコブはこれまでも数回、ことばについて注意をしてきました。実際多くの事柄は、ことばを通してなされ、ことばは、大きな実践の道具でもあります。
T.ことばの持つ力の大きさ。
私たちは、ちょっとしたことばによって平和を失い、大切な関係を失ってしまうことがあります。それとは反対に、小さな思いやりのあることばが人を生かし、育てていくこともあります。ことばの大きさを知り、正しく用いていきましょう。
U.良い生き方によって証しする。
ヤコブは神様ご自身から与えられる知恵と肉の知恵を比較しながら、良い生き方によって証しするように勧めています。誰からも評価されなくても、今すぐ結果を見ることができなくても、時が来れば実ります。喜んでイエス様を伝え、良い行いに励むことで、私たちは豊かにされていきます。日々、主の恵みによって良い業に励ませて頂きましょう。
「あなたがたのうちで、知恵のある、賢い人はだれでしょうか。その人は、その知恵にふさわしい柔和な行いを、良い生き方によって示しなさい。」 ヤコブ3:13
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2010年7月18日
「聖霊が臨む時」 使徒1:8 千田次郎先生
「聖霊があなたがたの上に臨まれるとき、あなたがたは力を受けます。」 (使徒1:8) これは神様の約束のみ言葉です。クリスチャンでしたらみな、この聖霊の力を受けております。この素晴らしい事実をしっかりと受け止めてまいりましょう。それではどのような力を受けているのでしょうか。
それは第一に、神のみ言葉である聖書を理解する力です。み言葉をいただく力です。そして、み言葉は私たちを夢と幻を持つ者に変えてくださいます。
第二に、イエス様の証人としての力です。イエス様が唯一の救い主であることを、確信をもって証言する力です。
第三に、遣わされる力です。家庭に、職場に、地域に、学校に、・・・ 主と共に出て行き、主と共に働き、主の栄光を拝する力です。
感謝!
「サウロは、ステパノを殺すことに賛成していた。その日、エルサレムの教会に対する激しい迫害が起こり、使徒たち以外の者はみな、ユダヤとサマリヤの諸地方に散らされた。」 使徒8:1
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2010年7月18日
「キリストの愛への応答」 ヤコブ2:1−26 金井つる先生
2章の主題は、キリスト者は真理を実践する神の民であるということです。ヤコブはキリストの愛に応えて、行いを通してキリストを証しするように勧めています。
1.信仰による兄弟愛の実践。
栄光の主イエス・キリストを信じる信仰を持っているのですから、人をえこひいきしたり、外観で差別してはいけない。
2.神の恵みによる兄弟愛の実践。
私たちは神の恵みによって救われました。命をかけて私たちを愛してくださった主の愛への応答として、他者を愛し仕えていくのです。義務感や強制されて行うのではありません。
3.信仰は行いによって全うされる。
信仰は行いとともに働き、行いによって全うされます。アブラハムとラハブは行いによって義と認められました。私たちもキリストの愛に応えて、行いを通して主を証ししていきましょう。
「人は行いによって義と認められるのであって、信仰だけによるのではないことがわかるでしょう。」 ヤコブ2:24
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2010年7月11日
「ペテロとコルネリオ」 使徒10:1−35 金井辰雄先生
今日の聖書の箇所には、キリスト教の歴史上大きな転換点となるような事件が記されています。異邦人コルネリオが信仰の兄弟として受け入れられたことによって、ユダヤ人と異邦人がキリストにあって一つのからだとなるという、新しい宣教の門が開かれたからです。 そのために、神様がペテロをどのようにしてコルネリオのところまで導かれたのかを学びましょう。神様は、コルネリオのひたすらな願いを聞かれ、御使いを遣わして、ペテロを招くように命じました。ペテロは昼の祈りの時、幻を見て、神様がきよめたものを「きよくない」と言ってはならないと教えられました。その後、コルネリオの部下たちがペテロを訪ねて来たので、ペテロは彼らを家に招き入れ、コルネリオの家を訪ねます。コルネリオは、みことばを聞くために親戚や友人を集めて、ペテロが来るのを待っていました。コルネリオを含めた異邦人たちが、ペテロを通して、みことばを聞いたとき、聖霊の賜物を受けて神様を賛美しました。天の神様は、神様を畏れて歩む者ならば、誰も分け隔てなく、受け入れてくださるお方なのです。
「神はイエス・キリストによって、平和を宣べ伝え、イスラエルの子孫にみことばをお送りになりました。このイエス・キリストはすべての人の主です。」 使徒10:36
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2010年7月11日
「聖書の預言の解釈」 Uペテロ1:19-21 岡部高明先生
ペテロは偽教師たちによる聖書の間違った理解や解釈に対して、預言のみことばはみな、聖霊によるものであり、人の私的解釈を施してはならないと警告しています。2010年6月6日号「クリスチャン新聞」で「日本も対策急げ教会乗っ取る異端“新天地”」の見出しで、韓国キリスト教界における「新天地イエス教証拠(あかしの)幕屋聖殿」の聖書の比喩的解釈に基づく異端活動の現状が報道されました。異端的な教えに惑わされないためにも聖霊の助けを祈りつつ、聖書全体を正しく読むこと、聖書を聖書によって解釈するという基本的な聖書理解力の向上が求められています。
「それには何よりも次のことを知っていなければいけません。すなわち、聖書の預言はみな、人の私的解釈を施してはならない、ということです。なぜなら、預言は決して人間の意志によってもたらされたのではなく、聖霊に動かされた人たちが、神からのことばを語ったのだからです。」 Uペテロ1:20,21
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2010年7月4日
「みことばを聞く態度が重要です」 使徒17:1−34 金井辰雄先生
テサロニケに行ったパウロは、会堂でキリストを伝えました。よくわかって信じた者もいましたが、ねたみにかられたユダヤ人に妨害され、ベレヤに逃れました。そして、ここでも、ユダヤ人の会堂で福音を語りました。ベレヤの人々は、テサロニケの人たちより良い人で、熱心にみことばを聞き、それが正しいかどうか調べるほどでした。そして、多くの人が信仰に入りました。しかし、テサロニケのユダヤ人たちが追いかけて来て、民衆を扇動して騒ぎを起こしたので、アテネに逃れました。パウロは、アテネの市内が偶像で溢れているのを見て、憤りを覚え、自分の信じている神がどのようなお方なのかを具体的に紹介し、偶像を礼拝してはいけない理由や神が今求めていることをはっきりと伝えたのです。 すると、数多くの人々の中で数名の者が福音を信じ救われました。福音は、信仰で反応する人々だけに救いの力として現れるのです。(Tコリント1:18)だから、みことばを聞く態度が重要なのです。
「ここのユダヤ人は、テサロニケにいる者たちよりも良い人たちで、非常に熱心にみことばを聞き、はたしてそのとおりかどうかと毎日聖書を調べた。 そのため、彼らのうちの多くの者が信仰に入った。」 使徒17:11,12
◇過去の礼拝メッセージ要約
※2010年の礼拝メッセージ要約
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※2009年の礼拝メッセージ要約
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※2008年の礼拝メッセージ要約
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