体調が悪かったり、介護が必要だったりして教会に集えない方々のために、毎週の礼拝メッセージの要約の掲載を行っています。教会に行ってみたいけど、いきなり行くのはちょっとな、という方も、ぜひ覗いていってもらえればなと思います。
でもやはり、できることならば教会に来て礼拝にでる方が、メッセージも聞きやすいし恵みも違ってきます。どうしようかなぁと迷っている方、ぜひ一度教会にも来て下さいね!
2009年6月28日
「神の民・エジプトに下る」 創世記46:1−34 金井つる先生
ヤコブは、「それで十分だ」という信仰に導かれました。そして、住み慣れたカナンの地を後にして、更に素晴らしい恵みのために前進しました。彼は、神に礼拝をささげ「エジプトに下ることを恐れるな。」という励ましと、「わたし自身があなたといっしょにエジプトに下る。」という臨在の約束を頂きました。そして、ヨセフとの再会に導かれ、「もう、今、私は死んでもよい。」と語りました。それは、神の真実な愛とイスラエルの民に対する約束を確認できたからです。神はやはり、私の人生の味方であったと確信できたのです。歴史を導き、今も生きて働いておられる神は、今も私たち一人一人の人生の味方となってくださるのです。
「すると仰せられた。『わたしは神、あなたの父の神である。エジプトに下ることを恐れるな。わたしはそこで、あなたを大いなる国民にするから。』」 創世記46:3
* * *
2009年6月21日
「誇り高き病める人」 U列王記5:1−19 金井辰雄先生
重い病気を治療するためには、高い薬を使ったり難しい手術をしたりと、とても大変なことだと考えてしまいます。ナアマン将軍もそうした病気に悩まされていました。しかし、幸運なことに、イスラエルに彼の病気を治すことのできる神の人がいるという朗報を得ました。ナアマンは、早速神の人のところに出かけて行きますが、エリシャの態度に怒りを覚えてしまいます。何故なら、彼の惨めなプライド(自尊心)が明るみに出されることになったからです。しかし、プライドを捨てて、エリシャのことばに従った結果、全き癒しと真の神を知るという大きな恵みを得ました。人間のプライドは、いつの時代でも神に従うことへの障害なのです。
「そこで、彼はその一行の者を全部連れて神の人のところに引き返し、彼の前に来て、立って言った。『私は今、イスラエルのほか、世界のどこにも神はおられないことを知りました。それで、どうか今、あなたのしもべからの贈り物を受け取ってください。』」 U列王記5:15
* * *
2009年6月21日
「摂理に信頼して」 創世記45:1−28 金井つる先生
ある人がこのように言いました。 「祝福か呪いか、ものごとを先走って判断してはいけない。」 ヨセフ物語やルツ記を読みますと、この言葉の意味が良く分かります。私たちは、今の状況や出来事が自分にとって快適か心地よいか否かで、簡単に自分を不幸にしてしまうことがあります。しかし、神は壮大なスケ−ルの中で私たちを愛し導いてくださいます。ヨセフは兄弟たちに拒まれ、売られてしまいましたが、神はこのことをイスラエルの民の命を救うための準備とされました。V=5 神はいのちを救うために…V=7 神は・・お遣わしになりました。 V=8 私たちに遣わしたのは・・神なのです。神の摂理に信頼して、V=28「それで十分だ。」と言える信仰に導いて頂きましょう。
「しかし私にとっては、神の近くにいることが、しあわせなのです。私は、神なる主を私の避け所とし、あなたのすべてのみわざを語り告げましょう。」 詩篇73:28
* * *
2009年6月14日
「食べ物と水」 出エジプト16:1−15、17:1−7 金井辰雄先生
私たちは、お店に行けば当たり前のように何でも食べ物を手に入れることが出来る便利な時代に生きています。そのために、神様が私たちを日々養ってくださるという実感がないかも知れません。イスラエルの民は、荒野で空腹を覚えモ−セにつぶやきました。それを聞いた神様は、民の願い通り、うずらとマナを与えられました。また、民はしばらくして水がないことで激しくモ−セに抗議しました。モ−セは神様に叫び、神様の命令通りに岩をたたいて、民に水を与えました。神様は、民の不信仰を忍耐をもってお赦しになり、必用を満たしてくださいました。どうして繰り返し不平や怒りが出てくるのでしょうか。私たちは、現実の困難に直面すると、過去を美化しなつかしみ、そして神様の将来の約束を忘れてしまうからです。どんな時にも、必ず助け、必用を満たしてくださる主を信じて祈る者となりましょう。
「わたしはイスラエル人のつぶやきを聞いた。彼らに告げて言え。『あなたがたは夕暮れには肉を食べ、朝にはパンで満ち足りるであろう。あなたがたはわたしがあなたがたの神、主であることを知るようになる。』」 出エジプト16:12
* * *
2009年6月14日
「いつでも弁明できる用意を」 Tペテロ3:13-16 岡部高明先生
私たちが聖霊を受けてこの地上に生かされている目的の一つは、主の証人となり(使徒1:8)、わたしたちを「やみの中からご自分の驚くべき光の中に招いて下さった方のすばらしいみわざを」宣ベ伝えるため(ペテロT 2:9)です。その証しは私達の生き方に対する非難や攻撃に対応する適切な私達の弁明によってより効果的になります。そのために普段から、私たちがどのようにして主イエス・キリストを主と信じ、どこから救い出されてどこへ行こうとしているか、どのような希望を持って生活をしているかなどを秩序正しく説明できるように準備をしておく必要があります。正しい良心をもって生活している者の誠実な証しが反対者たちの心に届くのです。
「むしろ、心の中でキリストを主としてあがめなさい。そして、あなたがたのうちにある希望について説明を求める人には、だれにでもいつでも弁明できる用意をしていなさい。ただし、優しく、慎み恐れて、また、正しい良心をもって弁明しなさい。そうすれば、キリストにあるあなたがたの正しい生き方をののしる人たちが、あなたがたをそしったことで恥じ入るでしょう。」 Tペテロ3:15,16
* * *
2009年6月7日
「絶望からの救い」 使徒9:32−43 金井辰雄先生
ここには、二つの大きな奇跡が起こったことを知ります。一つは、中風を患っていたアイネヤという人が癒された出来事。もう一つはタビタという婦人が死から甦ったという出来事です。 このことは、私たちが日常生活の中で経験する様々な病気や苦しみ、どうすることも出来ない絶望的な中で、落胆や失望している人々に、なお希望は残されていると言うことを具体的に示しています。タビタは、貧しいやもめたちを世話をする働きに献身していました。主は、そのような美しい姿を見せたタビタを生き返らせてくださいました。教会は、このような美しい献身と神の驚くべき力を回復すべき所です。また、神を信じる人々の病気や死を通して、主の御業が現され、主に立ち帰る人々が起こされました。絶望がどんなに深く大きくても恐れる必要はありません。復活の主は、今も生きていて祈りに応え、御業をなしてくださり解決を与えてくださるのです。
「そこでペテロは立って、いっしょに出かけた。ペテロが到着すると、彼らは屋上の間に案内した。やもめたちはみな泣きながら、彼のそばに来て、ドルカスがいっしょにいたころ作ってくれた下着や上着の数々を見せるのであった。 ペテロはみなの者を外に出し、ひざまずいて祈った。そしてその遺体のほうを向いて、『タビタ。起きなさい。』と言った。すると彼女は目をあけ、ペテロを見て起き上がった。」 使徒9:39−40
◇過去の礼拝メッセージ要約
※2009年の礼拝メッセージ要約
1月
2月
3月
4月
5月
※2008年の礼拝メッセージ要約
4月
5月
6月
7月
8月
9月
10月
11月
12月
※2003年の礼拝メッセージ要約
※2002年の礼拝メッセージ要約
※2001年の礼拝メッセージ要約
集会案内 |活動報告 |メッセージ集 |教会・牧師紹介 |地図 |リンク集
Copyright(C) 2009 Isesaki Christian Church all rights reserved.