体調が悪かったり、介護が必要だったりして教会に集えない方々のために、毎週の礼拝メッセージの要約の掲載を行っています。教会に行ってみたいけど、いきなり行くのはちょっとな、という方も、ぜひ覗いていってもらえればなと思います。
でもやはり、できることならば教会に来て礼拝にでる方が、メッセージも聞きやすいし恵みも違ってきます。どうしようかなぁと迷っている方、ぜひ一度教会にも来て下さいね!
2012年5月20・27日
「いなくなった息子を捜す父のたとえ」 ルカ15:11〜24 金井辰雄先生
イエス様が収税人や罪人たちを受け入れ親しくされる姿を見たパリサイ人、律法学者たちがつぶやきました。「この人は、罪人たちを受け入れて、食事まで一緒にする。」 彼らにとって、収税人や罪人と呼ばれる人々は、神様の恵みの内に入らない人たちでした。イエス様は、直接彼らの疑問に答える代わりにたとえをもって答えられました。 相続財産を先取りして家を飛び出したが、放蕩ですべてを失って乞食の姿で帰ってきた息子を、わが子として温かく迎える父親の姿が描かれています。ここに福音の真理がみごとに描かれています。人間は、神との交わりの中にあって、初めて生きる意味や目的、喜びを見いだすことができるのです。どんなに行き詰まっても、私たちには帰るところがあります。私たちを喜んで受け入れてくださるのが神様です。素直に神様に悔い改めることが大切です。
神に立ち返るには、自分の罪や貧しさを認める謙虚さが必要だ。
「そして肥えた子牛を引いて来てほふりなさい。食べて祝おうではないか。 この息子は、死んでいたのが生き返り、いなくなっていたのが見つかったのだから。』 そして彼らは祝宴を始めた。」 ルカ15:23,24
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2012年5月20・27日
「幸せな親子」 エペソ6:1〜4 金井つる先生
5月は母の日、6月は父の日があり、このシーズンは宅急便も2〜3倍に増えるそうです。両親に感謝の気持ちを現わす習慣は美しいと思います。しかし一方で家庭内暴力や親子の断絶が叫ばれています。聖書が教える幸せな親子関係を築くための原則を、ともに学びましょう。
1、子どもたちよ。主にあって両親に従いなさい。
主を信じている両親に従うということではなく、主を信じる信仰の故に従うことが求められています。子どもは両親によって神の存在を知っていくからです。
2、父たちよ。子どもをおこらせてはいけません。
親の責任と義務について命じています。親であるという先天的な優越性を乱用してはいけません。かといって子どもの言いなり、甘やかしを容認しているわけではありません。親自身も神さまに愛され赦されている存在であることを覚え、主の教育と訓戒によって育てることが大切です。祈りつつ幸いな家庭を築かせていただきましょう。
「子どもたちよ。主にあって両親に従いなさい。これは正しいことだからです。」 エペソ6:1
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2012年5月13日
「父と母を敬う」 出エジプト記20:12 金井辰雄先生
母の日のきっかけを作ったのは、アンナ・ジャーヴィスと言われています。 アンナは、ただ自分の母を思い起こすだけでなく、すべての人々が父母を敬わなければならないことを熱心に唱えたのです。何故でしょうか? それは、両親への服従は、神への服従に通じているからです。旧約時代においては、 家庭に於ける宗教教育は、両親に課せられた重大な責任でした。 それ故に、両親を尊敬して従うことは、神への服従と結びついているのです。また、この戒めは、単に子どもだけに語られているのではなく、老年に達した親を持つ成人した人にも語られているのです。 年老いた両親への尊敬と配慮は、<主が与えようとしておられる地で、あなたの齢が長くなるため>の条件で、長く繁栄することを意味しています。父と母を敬うことは、そこに聖書の示す人間のあるべき姿があるのです。
父と母を敬うことは、人と神に通じる入り口である。
「あなたの父と母を敬え。あなたの神、主が与えようとしておられる地で、あなたの齢が長くなるためである。」 出エジプト記20:12
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2012年5月13日
「ぶどう園の労務者のたとえ」 マタイ19:27-20:16 岡部高明先生
パレスチナのぶどうの収穫は、秋の雨期が近づいているため早いということが絶対不可欠で、人手が多ければ多いほど良かったのです。ユダヤの労働時間は朝の6時から夕方の6時までで、賃金はその日のうちに支払うように定められていました。ぶどう園の主人は、一時間しか働かなかった者にも、一日中働いた者にも同じ報酬を支払ったために、労務者たち、特に最初から働いた者たちから文句を言われました。主人の弁明から、神は約束を守られること、神の慈しみは豊かで広いこと、他の人々の幸いをねたましく思う自己中心に対する警戒、ペテロの誤った質問に対する主の教えを学ぶことができます。
「自分のものを自分の思うようにしてはいけないという法がありますか。それとも、私が気前がいいので、あなたの目にはねたましく思われるのですか。』このように、あとの者が先になり、先の者があとになるものです。」 マタイの福音書20:15,16
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2012年5月6日
「みことばに関わって生きる」 出エジプト記6:1−13 金井辰雄先生
イスラエル人は落胆と激しい労役を強いられました。それは、パロ王がモ−セとアロンの2人が自分たちが神のことばを聞いたと言うことを触れまわり、それによって、自分たちが神の民である事に目覚め、反乱を起こすことのないように、イスラエル人の仕事の量を増し加えることによって、神のことばに関わらせないようにしたためです。悪魔は、みことばから引き離すことが出来れば、結果的に敗北させることが出来ることを知っています。クリスチャンが神様との時間が持てなくなったとき、信仰はバックスライドすることを覚えておく必要があります。しかし、 私たちが、神のことばに忠実に従っていくときに事態が以前よりも悪くなり、しかも一向に神は救いの手を述べてくださらないという事を経験します。そこに、神のみことばに関わって生きることへの困難さ、戦いがあります。しかし、たとえ、自分の心がどんなに落胆していようと、現実がどんなに絶望状態であっても、神は全能の故に、また、神が愛であるがゆえに、語られたみことばは真実であり、時が来れば必ず成就します。ですから、みことばに最後まで関わり続けていくところに、信仰者の勝利があり、信仰者の姿勢があるのです。
神のみわざを見たければ、みことばに関わって生きることだ。
<聖書引用箇所>使徒16:31(p262)、ヨハネ16:33(p215)、ルカ1:37,38(p107)
「モーセはこのようにイスラエル人に話したが、彼らは落胆と激しい労役のためモーセに聞こうとはしなかった。」 出エジプト記6:9
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