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メッセージ集:2008年10月

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体調が悪かったり、介護が必要だったりして教会に集えない方々のために、毎週の礼拝メッセージの要約の掲載を行っています。教会に行ってみたいけど、いきなり行くのはちょっとな、という方も、ぜひ覗いていってもらえればなと思います。

でもやはり、できることならば教会に来て礼拝にでる方が、メッセージも聞きやすいし恵みも違ってきます。どうしようかなぁと迷っている方、ぜひ一度教会にも来て下さいね!

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2008年10月26日

「主とともに生きるため」 Tテサロニケ4:13−5:11 金井辰雄先生

本日は、召天者記念礼拝です。すでに天に召された方々を偲びつつ、天の御国に目を向け、心新たにする時です。主は、全てをご支配される方であり、死も主のご支配の中にあることと受けとめる時に、慰めを得ます。テサロニケの教会では、再臨に関する誤った理解のために混乱が起きていました。パウロは、すでに眠った者は、主の再臨時によみがえり、生きている者は空中に引き上げられ、主とお会いし、永年に主と共に生きることが出来るという確かな希望と慰めを語ります。それ故に、目を覚まして主の再臨に備えた歩みをするようにと勧めます。やがて私たちは、愛する主に直接お目にかかることができるのです。何という恵み、幸いでしょうか。 あなたの関心はどこに向いていますか。

「主が私たちのために死んでくださったのは、私たちが、目ざめていても、眠っていても、主とともに生きるためです。」  Tテサロニケ5:10

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2008年10月19日

「イエスの愛につつまれて」 ルカ19:1−10 金井つる先生

エリコの町にザアカイという人が住んでいました。彼は収税人のかしらでお金持ちでした。ザアカイという名前には「きよい人、義人」という意味がありました。しかし、彼は名前とは反対の生き方をしていました。不正を行い私腹をこやしていたので、人々から罪人と批判され、嫌われていました。しかし、イエス様はザアカイを呼ばれ、友となってくださいました。イエス様の愛につつまれたザアカイは、すべての罪が赦されて新しく生まれ変わりました。私たちもイエス様を心の中にお迎えする時、新しくされるのです。「だれでもキリストのうちにあるなら、その人は新しく造られた者です。古いものは過ぎ去って、見よ、すべてが新しくなりました。」 Uコリント:17

「イエスは、ちょうどそこに来られて、上を見上げて彼に言われた。『ザアカイ。急いで降りて来なさい。きょうは、あなたの家に泊まることにしてあるから。』」 ルカ19:5

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2008年10月12日

「ヤコブの夢」 創世記38:10−22 金井辰雄先生

父と兄を欺いて家を出たヤコブは、生まれ故郷を離れるという経験をしました。家族から離れ、見知らぬ土地で野宿しなければなりませんでした。不安と恐れの中で孤独と無力さを痛感したことでしょう。ヤコブが石を枕にして眠ると、一つのはしごが天から地に向って立っている夢を見ました。更に、主がヤコブの枕元に立って「見よ。わたしはあなたとともにあり、あなたがどこへ行っても、あなたを守り、あなたをこの地に連れ戻そう。わたしは、あなたに約束したことを成し遂げるまで、決してあなたを捨てない。」V=15 と約束してくださったのです。信仰は、人から聞かされるだけでなく、自ら神に語られなくては、自分のものとなりません。ヤコブは、枕にしていた石を記念として礼拝を捧げました。ヤコブにとって、この場所が神の子どもとしての生涯の出発点となったのです。

「見よ。わたしはあなたとともにあり、あなたがどこへ行っても、あなたを守り、あなたをこの地に連れ戻そう。わたしは、あなたに約束したことを成し遂げるまで、決してあなたを捨てない。」  創世記28:15

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2008年10月12日

「選ばれた人々」 Tペテロ1:1-12 岡部高明先生

今年の8月25日にインド東部のオリッサ州カンダマール地区でヒンズー原理主義者の武装集団によるキリスト教迫害が起きました。日本では同じような迫害は起きていませんが、様々な苦しみや試練の中を歩んでいる方々も少なくないと思います。ペテロの手紙第一は、苦難の中にある教会・聖徒を励ますために書かれました。この苦難は使徒の働きにも見られるもので、宗教的な無理解や対立からの嘲笑や様々な妨害、辱め、暴力のようです。苦難への対処法を学ぶことは、苦難を生かす道でもあります。今日はまず、わたしたちの自己理解から始めましょう。

「父なる神の予知に従い、御霊の聖めによって、イエス・キリストに従うように、またその血の注ぎかけを受けるように選ばれた人々へ。どうか、恵みと平安が、あなたがたの上にますます豊かにされますように。」  第Tペテロ1:2

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2008年10月5日

「アナニヤとサッピラ夫婦の悲劇」 使徒5:1−11 金井辰雄先生

教会は、イエス様を救い主と信じることによって、自分の罪を贖われた者たちの集団です。とはいえ、いきなり全く罪を犯さない完璧な人になったわけではありません。一人ひとりが一生かけて、主体的に神様にお従いしつつ、きよさを求め、主にあって成長していくのです。当然、そこには失敗もあり、罪を犯すこともあるでしょう。しかし、それらを解決し、乗り越えながら教会は成長していくのです。本日のテキストには、アナニヤとサッピラ夫婦が神に打たれて即死をするという、とてもショッキングな事件が記されています。何故神様は、この夫婦を厳しく裁かれたのでしょうか。また、そうまでしなければならなかった理由はどこにあったのでしょうか。私たちが悟り、教訓としなければならない真理があります。

「それはもともとあなたのものであり、売ってからもあなたの自由になったのではないか。なぜこのようなことをたくらんだのか。あなたは人を欺いたのではなく、神を欺いたのだ。」  使徒5:4


◇過去の礼拝メッセージ要約

※2008年9月の礼拝メッセージ要約
※2008年8月の礼拝メッセージ要約
※2008年7月の礼拝メッセージ要約
※2008年6月の礼拝メッセージ要約
※2008年5月の礼拝メッセージ要約
※2008年4月の礼拝メッセージ要約

※2003年の礼拝メッセージ要約
※2002年の礼拝メッセージ要約
※2001年の礼拝メッセージ要約


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