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メッセージ集:2011年2月

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体調が悪かったり、介護が必要だったりして教会に集えない方々のために、毎週の礼拝メッセージの要約の掲載を行っています。教会に行ってみたいけど、いきなり行くのはちょっとな、という方も、ぜひ覗いていってもらえればなと思います。

でもやはり、できることならば教会に来て礼拝にでる方が、メッセージも聞きやすいし恵みも違ってきます。どうしようかなぁと迷っている方、ぜひ一度教会にも来て下さいね!

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2011年2月27日

「罪人を招くイエス」 マタイ9:9−13 金井辰雄先生

イエスは、マタイ(レビ)を召し、罪人や収税人たちと食事をしました。また、パリサイ人たちの批判に対して、ご自分の来られた目的を話されました。「医者を必要とするのは丈夫な者ではなく、病人です。わたしは正しい人を招くためではなく、罪人を招くために来たのです。」(12、13)  私たちが医者に行くのは、自分は病気かも知れないという病気の自覚があるからです。同じように、自分が神の前に霊的に病人=罪人であることを自覚する者はイエス様の招きに応えるのです。イエス様は、魂の医者なのです。しかし、自分は健康だ、正しいと思っている者=罪の自覚のない者は、イエス様のこの招きに応じることが出来ないのです。すべての人は、キリストの救いに招かれています。しかし、その事実に気づかないならば、キリストと関係を持ち、キリストと共に食卓に着くことはないのです。 自分の罪に気づかないパリサイ人やパリサイ的人間の不幸がそこにあるのです。

「医者を必要とするのは丈夫な者ではなく、病人です。わたしは正しい人を招くためではなく、罪人を招くために来たのです。」 マタイ9:12、13

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2011年2月20日

「信じる者は神の栄光を見る」 ヨハネ11:17−44 金井つる先生

イエス様が愛しておられたラザロが、重い病気にかかりました。マルタとマリヤは人を遣わして、イエス様にすぐに来て欲しいと願いました。しかし、イエス様はすぐにおいでにならず、来てくださった時はラザロが死んで4日も経過していました。このような状況の中でイエス様は、ご自身の栄光を現してくださいました。
1.イエスを信じる者は永遠のいのちを持つ
 イエス様はこの時、重大な宣言をされました。「わたしを信じる者は、死んでも生きる。」と言われたのです。
2.イエスは私たちの弱さに同情出来ないお方ではない
 マリヤはラザロの死を悲しみ、主の前で泣きました。イエス様は泣いているマリヤを見て、不信仰だと責めたのではなく、ご自身も涙を流されました。
3.信じるなら神の栄光を見る
 イエス様は、彼らに石を取りのけるように求められました。彼らが石を取りのけた結果(信仰の応答)、主はご自身の栄光を現してくださったのです。
 ラザロは生き返りました。私たちもまた、信仰によって主の栄光を見る者とさせて頂きましょう。

「イエスは彼女に言われた。『もしあなたが信じるなら、あなたは神の栄光を見る、とわたしは言ったではありませんか。』」  ヨハネ11:40

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2011年2月13日

「エルサレムの再建」 ネヘミヤ2:9−20 金井辰雄先生

ペルシャの王に仕えていたネヘミヤは、エルサレムの城壁が荒れ果てていることを聞きました。ネヘミヤは、城壁の再建のために祈りました。神様がネヘミヤの祈りに答えてくださったので、ネヘミヤは王様から任命された総督としてエルサレムに遣わされました。そして、まず、夜中に城壁の様子を調べ工事計画を練りました。工事は、外からの敵の執拗な妨害と戦いつつ、内部からは貧富の差による不一致の問題に直面ししつつ進められました。しかし、大変な工事だったのに 52日間という短期間で完成したことに周りの民族は驚きました。ネヘミヤが信じていたとおり、神様がこの工事を成功させてくださったのです。ネヘミヤは、城壁の再建を神様のご計画であり、自分に託された使命であると確信していました。神様は必ず成し遂げてくださるという信仰があったので、様々な困難に立ち向かえたし、問題が起こるたびに祈って神様の導きを求めたのです。

「天の神ご自身が、私たちを成功させてくださる。」  ネヘミヤ2:20

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2011年2月13日

「聞き方に注意しなさい」 ルカ8:4-21 岡部高明先生

主イエスは神のみこころや神の国など天的な奥義を教えるにあたり、私たちの日常生活の中で見たり経験したりすることにたとえてわかりやすく教えてくださいました。「種まきのたとえ」はマタイ、マルコ、ルカの三福音書に記されている三つのたとえの中の一つで、しかも主自らたとえの意味について解説されている有名なたとえです。その中心的な教訓は「聞き方」についてです。語られた神のことばは同じでも聞き手の心の状態によってその結果は全く違うものになってしまうのです。みことばを正しく聞きとり豊かな実りを得るために心と生活の土壌改良に取り組みましょう。

「しかし、良い地に落ちるとは、こういう人たちのことです。正しい、良い心でみことばを聞くと、それをしっかりと守り、よく耐えて、実を結ばせるのです。」  ルカ8:15

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2011年2月6日

「あなたはわたしの愛する子」 マタイ3:13−17 金井辰雄先生

クリスチャンになると、多くの恵みを頂きます。 罪の赦し、永年のいのち、神の子どもになる、天国・・それらは、全て神の恵みによって与えられるものです。そのような中で、私たちが神の子どもにされたということが最も素晴らしい恵みではないでしょうか。主イエス様は、公生涯のスタ−トの場面に於いて天からの声を聞きました。 「これは、わたしの愛する子である。わたしはこれを喜ぶ。」 イエス様を信じて神の子どもとされた私たちは、その恵みを本当に味わっているでしょうか。 あなたにとって、父なる神様はどのようなお方でしょうか? また、父なる神様にとって、あなたはどういう子どもだと思いますか? 子どもというものは、親子の関係の中で自分の価値をとらえるものです。 また、父親との関係は、神様との関係に投影されるものです。神様は、罪赦されたすべてのクリスチャンに対して、“あなたは、わたしの愛する子、イエス・キリストによってあなたを喜んでいる”とおっしゃるのです。 たましいに、そのような声を聞いて欲しいものです。

「また、天からこう告げる声が聞こえた。『これは、わたしの愛する子、わたしはこれを喜ぶ。』」  マタイ3:17


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※2008年の礼拝メッセージ要約
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