体調が悪かったり、介護が必要だったりして教会に集えない方々のために、毎週の礼拝メッセージの要約の掲載を行っています。教会に行ってみたいけど、いきなり行くのはちょっとな、という方も、ぜひ覗いていってもらえればなと思います。
でもやはり、できることならば教会に来て礼拝にでる方が、メッセージも聞きやすいし恵みも違ってきます。どうしようかなぁと迷っている方、ぜひ一度教会にも来て下さいね!
2010年4月25日
「新しく生まれなければ」 ヨハネ3:1−21 金井辰雄先生
ニコデモが、夜中にイエス様のもとを訪ねました。イエス様は、「新しく生まれなければ、神の国を見ることはできません」と言われました。 どんなに謙遜で道徳的に優れた人であっても、福音を信じて新しく生まれなければ、天国に入ることは出来ないのです。御霊によって新しく生まれるというイエス様のみことばを理解できず信じることが出来ないニコデモをイエス様は責められます。みことばを聞くときに唯一要求されるのは信仰なのです。 ニコデモに信仰がないことを責められたイエス様は、これから起こる救いの御業を語られます。モ−セが荒野で蛇を上げたように、人の子も上げられなければならない。しかし、信仰よって蛇を見上げた人が救われたように、十字架につけられたイエス様を信じる者は永遠のいのちを得ることが出来ると宣言されました。 あなたは、みことばが理解できなくても信仰によって反応しているでしょうか。
「イエスは答えて言われた。『まことに、まことに、あなたに告げます。人は、新しく生まれなければ、神の国を見ることはできません。』」 ヨハネ3:3
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2010年4月25日
「逆境の中に踏みとどまる」 ヤコブ1:1−18 金井つる先生
私たちの人生には、試練や困難、誘惑はつきものです。思うように事が進まずいらだちを覚えることもあるかも知れません。しかし、ヤコブは“試練に会うときは、それをこの上もない喜びと思いなさい”と語っています。何故なら試練を通して私たちは、忍耐が与えられ成熟したキリスト者となることができるからです。神様は私たちに神の知恵を求めて生きるようにと願っています。神様は誰にでもとがめることなく、すべての良いものを与えてくださるのです。少しも疑わずに信じて願いましょう。そして、試練を恐れず、試練を喜ぶ心を与えて頂きましょう。更なる成熟を目指して歩みましょう。
「私の兄弟たち。さまざまな試練に会うときは、それをこの上もない喜びと思いなさい。」 ヤコブ1:2
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2010年4月18日
「すべてが益に変えられて」 創世記50:1−26 金井つる先生
ヤコブが亡くなり、エジプトは70日間喪に服しました。ヨセフは深い悲しみの中にありながらも、ヤコブの遺言を実現するために準備をしました。遺体をミイラにして、パロに理解と協力を求めました。私たちも実行に移していないことがあるなら、具体的な一歩を踏み出しましょう。また神様は、すべてを益に変えて、私たちの人生を良いもので満たしてくださるお方です。神の摂理の中で生かされている恵みを覚えましょう。「神を愛する人々、すなわち、神のご計画に従って召された人々のためには、神がすべてのことを働かせて益としてくださることを、私たちは知っています。」ロ−マ8:28 そして、自分の人生に神様はどのようなご計画を持っておられるのか、神様に求め、教えて頂きましょう。
「あなたがたは、私に悪を計りましたが、神はそれを、良いことのための計らいとなさいました。それはきょうのようにして、多くの人々を生かしておくためでした。」 創世記50:20
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2010年4月11日
「見ずに信じる者は幸いです」 ヨハネ20:19−31 金井辰雄先生
イエス様がマグダラのマリヤに現れてくださった同じ日の夕方、誰も入れないはずの部屋にイエス様が来られて、彼らの中に立たれ、「平安があなたがたにあるように」と言われ、その手と脇腹を示されたのです。幽霊ではなく、紛れもなく主でした。弟子達は、どんなに嬉しかったことでしょうか。 ところが、 そこにいなかったトマスは、弟子達がイエス様に会ったと言っても自分の目で見て、この手で触れて確かめて見るまでは決して信じられないと言いました。8日後に、再びイエス様が現れました。トマスは、「私の主。私の神」と告白してイエス様を礼拝しました。すると、「あなたは、わたしを見たから信じたのですか。見ずに信じる者は幸いです。」とおっしゃいました。主は、自分が納得できる証拠を求めないでも弟子達の証言によって復活を信じるように願われたのです。私たちは、弟子達のように、よみがえられたイエス様を直接見たり触れたりすることはできません。しかし、主は「見ずに信じる者は幸いです」と言われたように、自分の感情や経験に頼らないで、神のことば(聖書)に信頼し、それに従う信仰を持つことを願っておられるのです。
「イエスは彼に言われた。『あなたはわたしを見たから信じたのですか。見ずに信じる者は幸いです。』」 ヨハネ20:29
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2010年4月11日
「主イエスを知ったことの幸い」 Uペテロ1:1−4 岡部高明先生
「イエス・キリストのしもべであり使徒であるシモン・ペテロ」(1:1)は、「 愛する人たち。いま私がこの第二の手紙をあなたがたに書き送るのは、これらの手紙により、記憶を呼びさまさせて、あなたがたの純真な心を奮い立たせるためなのです。」(3:1)と記しました。当時の教会内部に、主を否定したり(2:2)、自分に都合の良いように聖書の教えを曲げて解釈するにせ教師が入り込み、不道徳な生活に人々を巻き込み(2:14)、主の再臨までも否定していたのです(3:3-4)。教会外からの迫害よりも憂慮すべき事態が生じていたのです。現代の諸教会の霊的・道徳的状況はどうでしょうか。にせ教師と間違った教えに引き込まれないために、まず「私たちの主イエスを知ること」に励みましょう。
「というのは、私たちをご自身の栄光と徳によってお召しになった方を私たちが知ったことによって、主イエスの、神としての御力は、いのちと敬虔に関するすべてのことを私たちに与えるからです。その栄光と徳によって、尊い、すばらしい約束が私たちに与えられました。それは、あなたがたが、その約束のゆえに、世にある欲のもたらす滅びを免れ、神のご性質にあずかる者となるためです。」 ペテロの手紙 第二 1:3,4
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2010年4月4日
「主イエスの復活」 ヨハネ20:1−18 金井辰雄先生
イ−スタ−おめでとうございます。 イエス・キリストの復活は、キリスト教の核となる真理です。「キリストが復活されなかったのなら私たちの宣教は実質のないものになり、あなたがたの信仰も実質のないものになるのです。」 Tコリント15:14 と教えられています。 私たちは、主の復活の事実を土台とした揺るぎない信仰を持って、初めて神様が与えられる素晴らしい祝福をこの地上で味わうことが出来るのです。さて、イエス様が十字架におかかり葬られて三日目の朝のことです。イエス様を慕う女たちが、香油を塗ろうと墓に行きました。すると墓の入り口の石が横に転がしてあって、イエス様の遺体が無くなっていました。マグダラのマリヤがお墓の外で泣いていると、「マリヤ」とイエス様が御声をかけられたのです。主は、自ら預言されていたように、復活されたのです。キリストの復活が歴史上の事実であることは、直接の目撃者の他に、空のお墓、弟子達の変化、教会があることなどが証明しています。マリヤはこの喜びの知らせを他の弟子達に知らせました。 私たちも主の復活を喜ぶと共に、この素晴らしい福音を伝える使命が与えられているのです。
「マグダラのマリヤは、行って、『私は主にお目にかかりました。』と言い、また、主が彼女にこれらのことを話されたと弟子たちに告げた。」 ヨハネ20:18
◇過去の礼拝メッセージ要約
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12月
※2003年の礼拝メッセージ要約
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