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メッセージ集:2009年10月

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体調が悪かったり、介護が必要だったりして教会に集えない方々のために、毎週の礼拝メッセージの要約の掲載を行っています。教会に行ってみたいけど、いきなり行くのはちょっとな、という方も、ぜひ覗いていってもらえればなと思います。

でもやはり、できることならば教会に来て礼拝にでる方が、メッセージも聞きやすいし恵みも違ってきます。どうしようかなぁと迷っている方、ぜひ一度教会にも来て下さいね!

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2009年10月25日

「キリストと人を結ぶ架け橋」 ヨハネ1:35−42、6:1−11 金井辰雄先生

イエスが歩いているのを見て、バプテスマのヨハネは、「見よ、神の小羊」と言いました。アンデレともう一人の弟子は、彼がそう言うのを聞いて、イエスについて行きました。そして、イエスと親しく交わり、その人格に触れました。アンデレは、約束のメシヤに出会ったのです。 彼は、この感激と喜びをひとり占めにしていることは出来ませんでした。早速、兄シモンをイエス様のみもとに連れてきたのです。また、イエス様が5千人の人々を養う奇跡の場面では、5つのパンと2匹の魚を持った少年をイエス様のみもとに連れて来ました。彼はネロ皇帝による迫害の時代に殉教したと伝えられています。アンデレは、内に燃える信仰の情熱を秘め、主のみもとに人々を−兄弟でも、少年でも、異邦人でも−連れてくることを終生の使命として、キリストの証しのためには遠くの異教の地での殉教もいとわなかったのです。

「彼はまず自分の兄弟シモンを見つけて、『私たちはメシヤ(訳して言えば、キリスト)に会った。』と言った。 彼はシモンをイエスのもとに連れて来た。イエスはシモンに目を留めて言われた。『あなたはヨハネの子シモンです。あなたをケパ(訳すとペテロ)と呼ぶことにします。』」 ヨハネ1:41,42

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2009年10月25日

「生ける神に望をおいて」 創世記48:1−22 金井つる先生

ヤコブが病気になった時、ヨセフは二人の息子を連れてお見舞いに行きました。ヤコブはヨセフが来たことを知り、力を振り絞って床の上に座り全能の神の祝福を祈りました。ヤコブは自分が祝福を受けること以上に神の民が神の約束に従って祝されることを祈ったのです。私たちも自分の家族のために祈るのはもちろんですが、教会の兄弟姉妹とその家族の祝福を祈りましょう。また、私たちは神に選ばれた者として、神に与えられた命を生きています。今ある命は神の恵みであることを覚え、生かしてくださる神の御心にかなった歩みをして行きましょう。「私は今、死のうとしている。」 V=21 私たちも必ずこういう時が来ます。その時に残される家族や友人に何を残して行くのでしょうか? 全能の神を信じる信仰と神の祝福というバトンを次の世代に確かに手渡して行く者でありたいと思います。

「ある人がヤコブに告げて、『あなたの子ヨセフがあなたのもとにおいでです。」と言ったので、イスラエルは力をふりしぼって床にすわった。』」  創世記48:2

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2009年10月18日

「新しいいのちに生きる」 ヨハネ9:1−12、35−41 金井つる先生

イエス様は、生まれつきの盲人を見られました。この盲人は回復の見込みがなく、これからも“目が見えない”という重荷を負って生きていかなくてはなりませんでした。イエス様は、地面につばきをして泥を作り、「行って、シロアムの池で洗いなさい。」と言われました。彼は、イエス様のおことばに従って、シロアムの池で洗いました。奇跡が起きました。彼の目が見えるようになったのです。信仰は、イエス様のおことばに従うことから始まります。誰でも、イエス・キリストを信じるなら救われます。(Uコリント5:17) 新しい人生を歩むことが出来るのです。 「あなたは、人の子を信じますか」との主の問いかけに、「主よ。私は信じます。」と心から応答してまいりましょう。

「彼は言った。『主よ。私は信じます。」そして彼はイエスを拝した。』」  ヨハネ9:38

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2009年10月11日

「神に養われたエリヤ」 T列王記16:29−17:16 金井辰雄先生

アハブは、シドン人の王女イゼベルと結婚して、彼女が信じていたバアルやアシェラに対する偶像礼拝を率先して行いました。主は、アハブのこの甚だしい偶像礼拝に怒りを燃やされ、エリヤを遣わして干ばつを預言しました。その後、主のことばによりケリテ川で、最初は烏に、続いてシドンのツァレファテのやもめを通してエリヤを養われます。彼女が息子と最後のパンを食べて死のうとしていたとき、エリヤはパン菓子を作らせます。それ以降その家族は食料に不足することがなかったのです。エリヤの確信も立派です。ツァレファテのやもめの従順も見事であり、最後のパンを神にささげる信仰こそ、私たちを永遠に養うものなのです。

「私の仕えているイスラエルの神、主は生きておられる。私のことばによらなければ、ここ二、三年の間は露も雨も降らないであろう。」 T列王記17:1

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2009年10月11日

「万物の終わりに備えて」 Tペテロの手紙4:7-11 岡部高明先生

ペテロは「万物の終わりが近づいている」として、どのようにして備えるかを勧告しています。新約聖書における「終わり」は単なる時間や人生の終わり、消滅、最後ではありません。イエス・キリストの十字架における死と復活によって、罪と死に支配された時代、律法の時代、旧約聖書の時代は終止符を打たれています。間もなく再臨されるキリストによって、万物の更新に続く新しい時代が始まるのです。「信仰の試練」も終わり「称賛と光栄と栄誉」にかわります。目を覚まして祈りに励み、熱心に愛のわざを実践し、神から与えられた賜物をもって互いに仕えましょう。

「万物の終わりが近づきました。ですから、祈りのために、心を整え身を慎みなさい。何よりもまず、互いに熱心に愛し合いなさい。愛は多くの罪をおおうからです。つぶやかないで、互いに親切にもてなし合いなさい。」 Tペテロ4:7-9

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2009年10月4日

「危機は奇跡を生む機会となる」 使徒12:1−18 金井辰雄先生

札幌で行われた日本伝道会議に出席させて頂き、良い刺激をたくさん受けて帰ることができました。皆様のご理解とお祈りを感謝します。伝道会議の最後は、宣言文を採択して締めくくります。その第二章の中に、危機の時代における私たちの使命…このような危機に私たちは立ち向かいます、という決意の一文があります。このことを深く受け止めたいと思います。 初代教会に対する迫害は、ステパノの殉教に続いて、今度はヘロデ・アグリッパ王による弾圧がなされます。ヤコブを殺害し、最高指導者のペテロを捕らえ獄につなぎました。エルサレム教会は、最大の危機に瀕していました。国家権力に対して、教会は全く無力に見えました。しかし、そのような中で教会は神に熱心に祈り続けたのです。その結果、奇跡が起こったのです。信仰というのは、諦めないということです。どんな時にも神に対する信仰を失ってはいけません。大事なのは、神をどのように信じて生きているかということです。

「こうしてペテロは牢に閉じ込められていた。教会は彼のために、神に熱心に祈り続けていた。」  使徒12:5


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※2009年の礼拝メッセージ要約
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※2003年の礼拝メッセージ要約
※2002年の礼拝メッセージ要約
※2001年の礼拝メッセージ要約


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