体調が悪かったり、介護が必要だったりして教会に集えない方々のために、毎週の礼拝メッセージの要約の掲載を行っています。教会に行ってみたいけど、いきなり行くのはちょっとな、という方も、ぜひ覗いていってもらえればなと思います。
でもやはり、できることならば教会に来て礼拝にでる方が、メッセージも聞きやすいし恵みも違ってきます。どうしようかなぁと迷っている方、ぜひ一度教会にも来て下さいね!
2008年9月28日
「罪を赦すキリスト」 ヨハネ8:1−11 金井辰雄先生
イエスが、朝早く宮に出かけると、律法学者とパリサイ人が姦淫の現場で捕らえられた女を連れて来ました。そこには、イエスをはめるための巧妙な罠が仕組まれていました。しかし、イエスが「あなたがたのうちで罪のない者が、最初に彼女に石を投げなさい。」V=7と言われると、形勢は一転し、裁く者が裁かれる側となり、一人去り、二人去り・・彼女1人が残されました。そして、イエスは女に「わたしもあなたを罪に定めない。」V=11 と罪の赦しを宣言されました。 イエス様は、この女が負わなければならない罪の裁きと罰を、彼女に負わせるのではなく、自ら十字架で引き受けられるというかたちで、この女に向かい合ってくださったのです。イエス様は、あなたにもそのように向かい合ってくださるのです。
「そこで、イエスは言われた。『わたしもあなたを罪に定めない。行きなさい。今からは決して罪を犯してはなりません。』」 ヨハネ8:11
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2008年9月21日
「臨在・祝福」 創世記39:1−23 金井つる先生
ヨセフはエジプトの地に売られたことによって、実に多くのものを失いました。住み慣れた故郷と生活様式から離れ、愛する人々とも別れ、身の自由が奪われたことは大きな悲しみでした。しかし、このような試練の中にも主はヨセフとともにいてくださり、彼に恵みと祝福を与えてくださいました。「彼の主人は、主が彼とともにおられ、主が彼のすることすべてを成功させてくださるのを見た。」V=3 とあります。どのような試練の中にあっても、主はともにいてくださり、摂理のうちに導いて祝福してくださいます。神様が私たちを見捨てるということはありません。摂理の主を信じて誠実に歩み、祝福の器として用いて頂きましょう。
「彼の主人は、主が彼とともにおられ、主が彼のすることすべてを成功させてくださるのを見た。」 創世記39:3
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2008年9月14日
「ハンナの祈り」 Tサムエル1:1−20 金井辰雄先生
古代に於いては、子どもが与えられることは一つの具体的な幸せの形と考えられていました。ハンナは、主に祈って激しく泣いたとあります。自分の子どもが与えられることを強く願わずにはいられない家庭内の複雑な事情や自分の居場所がないということが熱い祈りの背景にありました。 しかし、V=18のハンナの喜びは、祈りが聞かれ子どもが与えられることになったので喜んだのではありませんでした。神はご自身に信頼する者に必ず最善をなして下さるという確信と平安を得た故です。何々があればという信仰から、何々がなくてもという信仰に変えられたのです。ハンナは、祈ることを通して、神様に信頼して生きることの幸いを知りました。これこそ、現代人が失っている神様の祝福なのです。
「彼女の顔は、もはや以前のようではなかった。」 Tサムエル1:18
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2008年9月14日
「恐れず、語り続けよ」 使徒18:1-17 岡部高明先生
2003年9月14日(5年前の今日)倉賀野キリスト教会の開所式が行われました。倉賀野での伝道は1979年(昭和54年)1月17日、先々代の矢代博常牧師による伊藤姉宅での家庭集会から始まり家庭集会や子供たちへの土曜学校などが続けられました。2002年2月の定期教会総会で教会ビジョンの一環として倉賀野キリスト教会の設立が決議され、2003年9月に開所式を迎えました。本年はKさんが受洗され、更なる飛躍へと向かっています。「この町には、わたしの民がたくさんいるから」との主の御言葉を信じ、福音をゆだねて下さった主の愛と励ましを受けて次の目標に向かって前進しましょう。
「ある夜、主は幻によってパウロに、『恐れないで、語り続けなさい。黙ってはいけない。わたしがあなたとともにいるのだ。だれもあなたを襲って、危害を加える者はない。この町には、わたしの民がたくさんいるから』と言われた。」 使徒18:9,10
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2008年9月7日
「苦難の中でも福音を伝える教会」 使徒4:1−37 金井辰雄先生
ペテロが足の不自由な人を癒した奇跡は、ユダヤ人の指導者に大きな波紋を引き起こしました。そのために彼らはペテロとヨハネを投獄し、イエスの名を口に出来ないように脅しました。しかし、イエス様の復活を証しする弟子たちを止める力は、この世にはありませんでした。初代教会の特徴は、福音を伝えると苦難を受けたことです。教会は、苦難を経ながらも屈せず、この世を変えて行く共同体なのです。また、初代の教会の信者は、持ち物を分かち合って仕える共同体でもありました。教会には、富む者もいれば貧しい人もいるし、学んだ者もいれば、学んでいない人もいます。健康な人もいれば、病気の人もいます。教会は、そうしたことを越えてみなが一つになるところなのです。心を一つにし、賛美し、祈ることにより福音を伝える力と隣人を愛する愛を神からいただいていたのです。
「神に聞き従うより、あなたがたに聞き従うほうが、神の前に正しいかどうか、判断してください。私たちは、自分の見たこと、また聞いたことを、話さないわけにはいきません。」 使徒4:19、20
◇過去の礼拝メッセージ要約
※2008年8月の礼拝メッセージ要約
※2008年7月の礼拝メッセージ要約
※2008年6月の礼拝メッセージ要約
※2008年5月の礼拝メッセージ要約
※2008年4月の礼拝メッセージ要約
※2003年の礼拝メッセージ要約
※2002年の礼拝メッセージ要約
※2001年の礼拝メッセージ要約
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