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メッセージ集:2009年9月

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体調が悪かったり、介護が必要だったりして教会に集えない方々のために、毎週の礼拝メッセージの要約の掲載を行っています。教会に行ってみたいけど、いきなり行くのはちょっとな、という方も、ぜひ覗いていってもらえればなと思います。

でもやはり、できることならば教会に来て礼拝にでる方が、メッセージも聞きやすいし恵みも違ってきます。どうしようかなぁと迷っている方、ぜひ一度教会にも来て下さいね!

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2009年9月27日

「生ける神に望みをおいて」 創世記48:1−22 金井つる先生

ヤコブが病気になった時、ヨセフは二人の息子を連れてお見舞いに行きました。ヤコブはヨセフが来たことを知り、力を振り絞って床の上に座り全能の神の祝福を祈りました。ヤコブは自分が祝福を受けること以上に神の民が神の約束に従って祝されることを祈ったのです。私たちも自分の家族のために祈るのはもちろんですが、教会の兄弟姉妹とその家族の祝福を祈りましょう。また、私たちは神に選ばれた者として、神に与えられた命を生きています。今ある命は神の恵みであることを覚え、生かしてくださる神の御心にかなった歩みをして行きましょう。「私は今、死のうとしている。」 V=21 私たちも必ずこういう時が来ます。その時に残される家族や友人に何を残して行くのでしょうか? 全能の神を信じる信仰と神の祝福というバトンを次の世代に確かに手渡して行く者でありたいと思います。

「ある人がヤコブに告げて、『あなたの子ヨセフがあなたのもとにおいでです。」と言ったので、イスラエルは力をふりしぼって床にすわった。』」  創世記48:2

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2009年9月20日

「十字架でのイエスの祈り」 ルカ23:32−49 金井辰雄先生

エルサレムのどくろと呼ばれる丘の上に、3本の十字架が立てられました。イエスは、2人の犯罪人の真ん中に付けられました。そのときイエスは、「父よ。彼らをお赦しください。彼らは、何をしているのか自分でわからないのです。」V=34 と祈られました。彼らとは、イエスを十字架に付けた人々のことです。何をしているのか分からないとは、救い主であるキリストを自らの手で抹殺するような罪深いことをしていながら、その自分に全く気付けず、そのような人々に神の怒りと裁きが臨むことのないように、ということです。イエスの祈りを間近で聞いていた犯罪人の一人は、悔い改めてイエスを信じて救われました。あなたのためにも、イエス様は祈られたことをご存知ですか。「父よ。彼らをお赦しください。」の「彼ら」のところに自分の名前を入れて読んでみれば、そのことが分かるでしょう。 今日、イエス様の祈りに応答しましょう。

「そのとき、イエスはこう言われた。『父よ。彼らをお赦しください。彼らは、何をしているのか自分でわからないのです。』彼らは、くじを引いて、イエスの着物を分けた。」  ルカ23:34

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2009年9月20日

「祝福する者」 創世記47:1−31 金井つる先生

主の御心を確信してエジプトに下ったヤコブは、念願かなってヨセフと再会しました。神のやさしさ、ご配慮にどれほど感謝したことか分かりません。そして今度は、パロの前に連れてこられました。 1.ヤコブはパロを祝福しました。全能の神の祝福を受け継ぐために召された者として、その使命を果たしました。 2.ヨセフの経済政策は混乱することなくスム−ズに進みました。 3.ヤコブは自分の埋葬場所を先祖達の墓に納めて欲しいと頼みました。 最後の最後まで、神の祝福を受け継いだ者として生きることを願ったのです。私たちもまた、最後の最後までキリスト者として生きる者でありたいと思います。

「それから、ヨセフは父ヤコブを連れて来て、パロの前に立たせた。ヤコブはパロにあいさつした。」 創世記47:7

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2009年9月13日

「息子を生き返らせた父の愛」 ルカ15:11−24 金井辰雄先生

二人の息子を持つ父親のお話です。弟息子は、財産の分け前をもらって遠い国に旅立って行き、そこで放蕩の限りを尽くした末、豚の世話をする生活まで落ちぶれてしまいます。しかし、我に返ったとき、父の家のことを思い出し雇い人になる覚悟で帰って来ますが、父親は無条件で息子を迎えて宴会を開きます。しかし、兄息子は家族の交わりに参加することを拒否し、父の説得にも応じようとしませんでした。弟に対する憐れみも、父に対する親近感や畏敬の念もありませんでした。しかし、それでも父は、兄息子に「子よ。」と愛情に満ちた呼びかけを持って家族が一つになることを求め続けます。人間は、神の赦しの愛を学ばなくてはなりません。そうでなければ、いつまでも人を非難するだけの人間になってしまうからです。

「主はあなたがたに恵もうと待っておられ、あなたがたをあわれもうと立ち上がられる。」   イザヤ30:18

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2009年9月13日

「主と同じ心構えで武装する」 Tペテロ4:1-6 岡部高明先生

ペテロT 4:1の「キリストは肉体において苦しみを受けられた」は、ペテロT3:18の「肉においては死に渡され」に連なるものですが、ここでは、贖罪という死の意味(3:18)よりも十字架を中心とする苦難に対処したキリストの態度、心構えに重点が置かれています。私たちもバプテスマにおいて告白したように、欲望のために生きた過去に決別し、罪とのかかわりを断って、キリストと同じ心構えをもって、地上の残された時を神のみこころのために過ごしましょう。

「このように、キリストは肉体において苦しみを受けられたのですから、あなたがたも同じ心構えで自分自身を武装しなさい。肉体において苦しみを受けた人は、罪とのかかわりを断ちました。 こうしてあなたがたは、地上の残された時を、もはや人間の欲望のためではなく、神のみこころのために過ごすようになるのです。」 Tペテロ4:1,2

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2009年9月6日

「安息日は何をするのか」 ルカ6:1−11 金井辰雄先生

皆さんは、毎週日曜日の朝に教会に来るのをつらいと感じることはありませんか。安息日は、もともと人間の休みのために制定されたものです。ところが律法学者たちは、安息日を守るために、面倒くさい決まりをたくさん作りました。そのため却って気を遣う必用ができ、結果的に休めなくなってしまいました。このように間違って守られていた安息日に対して、イエス様は、いのちを大切にし、主に喜ばれることを積極的に行う、という喜びのある安息日の過ごし方を示されました。 いつの時代でも、一方で神の教えを軽んじ、逆に禁止事項だけをあげつらう危険性があります。私たちはそのことを認めたうえで、教会が血を流して獲得した主の日を重んじて、教会の公同の礼拝をささげる姿勢を大切にすると共に、神と人を愛することを実践してまいりましょう。

「イエスは人々に言われた。『あなたがたに聞きますが、安息日にしてよいのは、善を行なうことなのか、それとも悪を行なうことなのか。いのちを救うことなのか、それとも失うことなのか、どうですか。』」  ルカ6:9


◇過去の礼拝メッセージ要約

※2009年の礼拝メッセージ要約
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※2008年の礼拝メッセージ要約
 4月  5月  6月  7月  8月  9月  10月  11月  12月

※2003年の礼拝メッセージ要約
※2002年の礼拝メッセージ要約
※2001年の礼拝メッセージ要約


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