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メッセージ集:2010年6月

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体調が悪かったり、介護が必要だったりして教会に集えない方々のために、毎週の礼拝メッセージの要約の掲載を行っています。教会に行ってみたいけど、いきなり行くのはちょっとな、という方も、ぜひ覗いていってもらえればなと思います。

でもやはり、できることならば教会に来て礼拝にでる方が、メッセージも聞きやすいし恵みも違ってきます。どうしようかなぁと迷っている方、ぜひ一度教会にも来て下さいね!

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2010年6月27日

「キリストの愛への応答」 ヤコブ2:1−26 金井つる先生

2章の主題は、キリスト者は真理を実践する神の民であるということです。ヤコブはキリストの愛に応えて、行いを通してキリストを証しするように勧めています。
1.信仰による兄弟愛の実践。
 栄光の主イエス・キリストを信じる信仰を持っているのですから、人をえこひいきしたり、外観で差別してはいけない。
2.神の恵みによる兄弟愛の実践。
 私たちは神の恵みによって救われました。命をかけて私たちを愛してくださった主の愛への応答として、他者を愛し仕えていくのです。義務感や強制されて行うのではありません。
3.信仰は行いによって全うされる。
 信仰は行いとともに働き、行いによって全うされます。アブラハムとラハブは行いによって義と認められました。私たちもキリストの愛に応えて、行いを通して主を証ししていきましょう。

「人は行ないによって義と認められるのであって、信仰だけによるのではないことがわかるでしょう。」 ヤコブ2:24

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2010年6月20日

「あなたの宝は天に蓄えよ」 ルカ12:13−21,マタイ6:19−24 金井辰雄先生

イエス様は「どんな貪欲にも注意して、警戒しなさい。いくら豊かな人でも、その人のいのちは財産にあるのではないからです。」と言いました。金持ちの農夫は、神の中に憩うという真の平安も知らず、富によって魂の平安と喜びを得ようとしました。また、全ての者の命は、神の御手の中にあることも知らず、今夜にでも魂が取り去られてしまうことがあることを忘れていました。また、「自分の宝を地上にたくわえるのはやめなさい。」と言われました。宝は私たちの心を引きつけ、私たちの心を奪うものです。そして、「宝は天に蓄えよ」と言いました。天に宝を蓄えるとは、神の喜ばれる生き方や行いを意味します。富そのものが悪ではありませんが、富は容易に人を支配します。富が主人となるなら、人は神に仕えることは出来ません。金もうけばかり考えている人は、お金がその人の主人になってしまいます。一方、どうすれば神様が喜んでくださるだろうかと考えている人は、神様を主人としている人です。富が主人となってしまわないように、神を愛し、神に仕えることを徹底しましょう。

「だれも、ふたりの主人に仕えることはできません。一方を憎んで他方を愛したり、一方を重んじて他方を軽んじたりするからです。あなたがたは、神にも仕え、また富にも仕えるということはできません。」   マタイ6:20

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2010年6月20日

「みことばを実行する」 ヤコブ1:19−27 金井つる先生

 ヤコブは、神のことばに対して3つの責任があると述べています。
1.みことばを受け入れること。
 まず何よりも神様に耳を傾け、よく聞きましょう。語るときは十分に考えてから語り、自分の意見を押しつけたり、感情的に怒りを爆発させないようにしましょう。みことばが、私たちの心を守ってくれます。
2.みことばを実行すること。
 みことばを聞くだけ、知っているだけでは良くありません。行いによって祝福されるのです。
3.みことばを共有すること。
 イザヤは、まず神を見、次に自分を見、そして自分が仕えるべき世の人々の必要を見ました。私たちもまた、神を知り、自分が神に愛されていることを知っています。ですから、私たちもまた、困っている人や助けを必要としている人々の世話をし、助けることが出来るのです。

「また、みことばを実行する人になりなさい。自分を欺いて、ただ聞くだけの者であってはいけません。」 ヤコブ1:22

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2010年6月13日

「捕らえられた使徒たち」 使徒5:12−42 金井辰雄先生

使徒たちによって多くのしるしと不思議なわざが行われ、ますます主を信じる者が増えていきました。この状況に当惑した大祭司とその仲間たちは、使徒たちを一度ならず二度も逮捕しました。 彼らにすれば、正当な理由があったことでしょう。確かに、ペテロとヨハネは、イエスの名によって語ってはならないと命じられたのに聞き従いませんでした。そして、彼らが知ったのは、エルサレム中に福音が広まっていること、そして、罪のないイエスの血の責任が自分たちに問われていることでした。議員たちは、怒り狂って使徒たちを殺そうとしますが、律法学者のガマリエルに説得され、鞭打った上で、イエスの名によって語ることを禁じ、釈放しました。使徒たちは、この不当な扱いを御名のために辱められるに値する者とされたと喜びました。それは、彼らが本物であるとされた喜びでもあります。かつては、イエスと一緒にいることを恐れ、否定した彼らが、今やイエスと共に苦しむことを喜びとしているのです。あなたは、苦難が祝福であることを知っていますか。

「ペテロをはじめ使徒たちは答えて言った。『人に従うより、神に従うべきです。』」  使徒5:29

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2010年6月13日

「真理に堅く立つために」 Uペテロ1:12-18 岡部高明先生

一時ブームになった「品格」とは、「品位、気品」(広辞苑)、「節操の堅さ、見識の高さ、態度のりっぱさや姿の美しさなどから総合的に判断されるすぐれた人間性。品のよさ」(新明解国語辞典)と説明されています。私たちは主イエスを知る者としてふさわしい品格を神様からも周囲の方々からも認められたいものです。そのためには時流によって変わる基準(評価)ではなく「真理」に堅く立ち続けることが大切です。ペテロは、にせ教師たちによる惑わしの危険にさらされている信徒たちに対して、主から福音の真理を託された使徒として、また主イエスの変貌の目撃者として、間近な殉教を意識しつつ、すでに与えられている真理に堅く立ち続けるよう勧めています。教会の中に忍び込んでくる誤った教えに惑わされないために、聖書の真理を繰り返し学び続ける必要があります。

「私たちは、あなたがたに、私たちの主イエス・キリストの力と来臨とを知らせましたが、それは、うまく考え出した作り話に従ったのではありません。この私たちは、キリストの威光の目撃者なのです。」  ペテロの手紙 第二 1:16

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2010年6月6日

「真夜中の賛美」 使徒16:16−40 金井辰雄先生

占いの霊につかれた女奴隷が、パウロたちの後にしつっこく付きまといました。困り果てたパウロは、キリストの御名によって占いの霊を追い出しました。すると、彼女の主人たちは、もうけの望みがなくなったのでパウロとシラスを訴えました。ふたりは着物をはがれ、鞭を打たれ、牢に入れられてしまいました。 真夜中に、パウロとシラスが神に祈り、賛美を捧げると、突然大地震が起こって牢の扉が開いて、みなの鎖が解けました。 真夜中は、誰の人生にも訪れるものです。その状況に対するあなたの反応は、あなたが神に対してどのように考えているかが表れるときです。苦しい時に、祈ることは普通の人でも出来るでしょう。しかし、神を賛美するというのは、本当に信仰に生きている人でなければ出来ないことです。また、パウロたちは扉が開いて逃げようと思えば逃げられたのにそうしませんでした。看守たちが福音に心を開いて救われることができたのは、彼らがキリストの香りを放っていたからです。熱心に伝道しても、私たちの姿がこの世の人々と何ら変わらなければ、人々は心を閉ざしたままです。 聖霊の御声に耳を傾け、御霊の実を結ぶ者となれるように祈りましょう。

「真夜中ごろ、パウロとシラスが神に祈りつつ賛美の歌を歌っていると、ほかの囚人たちも聞き入っていた。」  使徒16:25


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※2010年の礼拝メッセージ要約
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※2009年の礼拝メッセージ要約
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※2008年の礼拝メッセージ要約
 4月  5月  6月  7月  8月  9月  10月  11月  12月

※2003年の礼拝メッセージ要約
※2002年の礼拝メッセージ要約
※2001年の礼拝メッセージ要約


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