トップページメッセージ集 > 2008年8月

メッセージ集:2008年8月

☆

体調が悪かったり、介護が必要だったりして教会に集えない方々のために、毎週の礼拝メッセージの要約の掲載を行っています。教会に行ってみたいけど、いきなり行くのはちょっとな、という方も、ぜひ覗いていってもらえればなと思います。

でもやはり、できることならば教会に来て礼拝にでる方が、メッセージも聞きやすいし恵みも違ってきます。どうしようかなぁと迷っている方、ぜひ一度教会にも来て下さいね!

◇メッセージ集メインに戻る


2008年8月31日

「クリスチャンの自制」 Tコリント9:24-27 岡部高明先生

使徒パウロは、ギリシャの古代オリンピアの競技者たちの実例を引用しながら、この世におけるクリスチャン生活を霊的な競技場に例え、神が準備しておられる冠(朽ちない冠、いのちの冠、義の冠、栄光の冠、喜びの冠)を目指して励むように勧めています。私たちは神の恵みによって永遠の救いに入れられ、神の民とされていますが、日ごとにクリスチャンとして成長し、神のみこころを行い、この世と悪魔との戦いにおいて勝利者となって神の栄光を現わすことが期待されています。パウロは、闘技者があらゆることについて自制するように、私たちも朽ちない冠を受けるために自制しようと勧めています。クリスチャンの自制のあり方について学びましょう。(ガラテヤ5:22,23、5:16)

「また闘技をする者は、あらゆることについて自制します。彼らは朽ちる冠を受けるためにそうするのですが、私たちは朽ちない冠を受けるためにそうするのです。」 Tコリント9:25

* * *

2008年8月24日

「わかっていないのです」 マルコ10:35−45 金井辰雄先生

イエス様がエルサレムに上る途中、十字架の予告をしておられたそのすぐ後で、ヤコブとヨハネは、自分たちのため右と左の座をと、イエス様に願い出ました。 それを聞いた他の10人の弟子たちは、「腹を立てた」V=41とあるのを見ると、皆同じようなことを考えていたようです。イエス様は、この機会を用いて、弟子たちに大切な真理を教えられました。「しかし、あなたがたの間では、そうでありません。あなたがたの間で偉くなりたいと思う者は、みなに仕える者になりなさい。 あなたがたの間で人の先に立ちたいと思う者は、みなのしもべになりなさい。」V=43−44 と僕となることだと諭されました。そして、最後の晩餐の席で、主自ら仕える者の模範を身をもって示されたのです。

「しかし、あなたがたの間では、そうでありません。あなたがたの間で偉くなりたいと思う者は、みなに仕える者になりなさい。」 マルコ10:43

* * *

2008年8月17日

「輝いて生きる秘訣」 Tテサロニケ5:16−18 金井辰雄先生

「いつも喜んでいなさい。絶えず祈りなさい。すべての事について、感謝しなさい。」V=16−18 この聖句は、この手紙の中で最も親しまれ、愛されているみことばです。実際の私たちの生活では、意識しないとなかなか喜びや感謝が出て来ないものです。しかし、逆に不満や愚痴は無意識のうちに次々に出て来ます。この喜びと感謝の勧めに、「絶えず祈りなさい」とあるのは非常に意義深いと思います。私たちに喜びと感謝が失われるのは、自分で物事を背負い込み、限界を感じる時です。しかし、祈りの中で神様にすべてを委ねることができる幸いを知る時、私たちは重荷から解放され喜びと感謝の生活へと変えられていくのです。

「いつも喜んでいなさい。 絶えず祈りなさい。すべての事について、感謝しなさい。これが、キリスト・イエスにあって神があなたがたに望んでおられることです。」 Tテサロニケ5:16−18

* * *

2008年8月17日

「新しい誕生」 ヨハネ3:1−15 金井つる先生

ニコデモはパリサイ人で、ユダヤ人の指導者でした。彼は学識があり、その行いも立派でした。聖書の中に出てくるパリサイ人は、イエス様に敵意を抱く人が多いのですが、ニコデモは真面目にイエス様を求めた例外的な存在でした。彼は、真理を求めていました。イエス様はニコデモに「人は、新しく生まれなければ、神の国を見ることはできません。」V=3と言われました。新しく生まれるとは、イエス・キリストを罪からの救い主と信じ、受け入れることです。愛と希望に満ちたやり直しの人生が、イエス・キリストによって私たちに提供されているのです。

「イエスは答えて言われた。『まことに、まことに、あなたに告げます。人は、新しく生まれなければ、神の国を見ることはできません。』」  ヨハネ3:3

* * *

2008年8月10日

「イサクの誕生」 創世記21:1−8,ロ−マ4:18−22 金井辰雄先生

神様は真実なお方であり、みことばによる約束は必ず実現してくださるお方です。神様は、アブラハムに「来年の今ごろ、・・そのとき、あなたの妻サラには男の子が出来ている」(創18:10)と約束されました。そのことばの通り、主はアブラハムにこどもを授けてくださったのです。以前は不信仰のゆえに笑ったサラでしたが(創18:12)、神のみわざに対する感謝と喜びによって笑う者となりました。 また、ハガルとイシュマエルはアブラハムの家から追い出され荒野でさまよう中で、神様はイシュマエルの叫びを聞いて御手を差し伸べ、この親子が生きる道を与えてくださいました。神様は、私たちの叫ぶ声を聞いてくださり、今の嘆き、悲しみを祝福に変えてくださるのです。

「そのように、わたしの口から出るわたしのことばも、むなしく、わたしのところに帰っては来ない。必ず、わたしの望む事を成し遂げ、わたしの言い送った事を成功させる。」 イザヤ55:11

* * *

2008年8月10日

「死は勝利にのまれた」 Tコリント15:50-58 岡部高明先生

お盆の習慣の背後には、死んだ人の運命を生きている人が操作できるとか、死んだ人の世界と現在の世界が交流できるという漠然とした考え方があります。聖書は死が罪の結果であり、死後のあり方は神の主権の下にあり、誰も介入できないと教えています。イエス・キリストは、私達のために救い主として律法の要求を完全に果たして、罪に乗じる死のとげを無力化してくださいました。主が再臨されるとき私たちは一瞬のうちに朽ちないからだに変えられます。福音に堅く立って主のわざに励む生き方は、死の恐れと虚しい希望しか持てない人々に、永遠のいのちと復活の確かさを立証するもので、その労苦には大きな報いが約束されています。

「しかし、神に感謝すべきです。神は、私たちの主イエス・キリストによって、私たちに勝利を与えてくださいました。ですから、私の愛する兄弟たちよ。堅く立って、動かされることなく、いつも主のわざに励みなさい。あなたがたは自分たちの労苦が、主にあってむだでないことを知っているのですから。」Tコリント15:57、58

* * *

2008年8月3日

「奇跡が起こる教会」 使徒3:1−26 金井辰雄先生

使徒の働きの時代の教会は、毎日奇跡が起き奇跡を体験する教会でした。3章はその一例が紹介されています。 「美しの門」に座っていた生まれながらの足なえの人が、「イエス・キリストの名によって歩け」V=6という声を聞いて、躍り上がって神を賛美する新しい生活に入りました。生まれた時から全く歩くことが出来ず、希望も未来もなかった人がペテロとヨハネに出会い、足と足首に力を得、その場で立ち上がり、歩いたりはねたり神を賛美する者となったのです。奇跡は、神の主権によってなされるものであって、いつも奇跡が起こるというものではありませんが、霊的に足のきかない者や霊的盲目・聴覚障害者が教会に来て、神様の素晴らしさを賛美する者となるということはまさに奇跡であり、そうした奇跡が起こるのが教会なのです。あなたは「イエス・キリストの名」をどのようにとらえていますか。

「金銀は私にはない。しかし、私にあるものを上げよう。ナザレのイエス・キリストの名によって、歩きなさい。」 使徒3:6


◇過去の礼拝メッセージ要約

※2008年7月の礼拝メッセージ要約
※2008年6月の礼拝メッセージ要約
※2008年5月の礼拝メッセージ要約
※2008年4月の礼拝メッセージ要約

※2003年の礼拝メッセージ要約
※2002年の礼拝メッセージ要約
※2001年の礼拝メッセージ要約


◇メッセージ集メインに戻る

◇トップページに戻る