2003年4月

4月6日 テープ 岡村又男師
また、わたしがあなたがたに命じておいたすべてのことを守るように、彼らを教えなさい。見よ。わたしは、世の終わりまで、いつも、あなたがたとともにいます。(マタイ28:20
今日の世界情勢、国内情勢を見るとき、多くの問題や不安が先に広がっているように思われます。しかし、こんな時代にあっても、聖書は教会に対して「恐れるな」と語っておられます。それは創造主が語っておられるのです。今日は、恐れることのない理由を三つの面から見て行きます。第一は、「あなたはわたしのもの」(1節)という約束です。どんなことの中にも、神のものとなった私たちは恐れることはありません。第二は「わたしはあなたを愛している」(4節)という約束です。私たち一人一人に対して神様は語っておられるのです。第三は「わたしはあなたとともにいる」(5節)という約束です。私たちの信仰生活にあっても、主がいつもともにいてくださるのです。


4月13日  中川信嗣師
そして自分から十字架の上で、私たちの罪をその身に負われました。それは、私たちが罪を離れ、義のために生きるためです。キリストの打ち傷のゆえに、あなたがたは、いやされたのです。(ペテロの手紙 第一 2:24)
今日から受難週に入ります。イエス様のお苦しみを思い巡らす時としましょう。今日は、一週間の出来事の中から三つの出来事を取り上げてイエス様の受難に目を留めていきます。第一は、ゲッセマネの祈りと逮捕の出来事です。第二は、イエス様の受けられた裁判について、そして最後にイエス様の十字架上での出来事を見ていきます。これらに共通することは、イエス様は十字架の道を避けようとはなさらなかったということです。私たちの罪を赦す為に、私たちに救いを与えるためにイエス様は十字架を目指して歩まれたのです。


4月20日 岡部高明師
私たちは、キリストの死にあずかるバプテスマによって、キリストとともに葬られたのです。それは、キリストが御父の栄光によって死者の中からよみがえられたように、私たちも、いのちにあって新しい歩みをするためです。もし私たちが、キリストにつぎ合わされて、キリストの死と同じようになっているのなら、必ずキリストの復活とも同じようになるからです。(ローマ 6:4,5)
イエス・キリストの死・復活・昇天は歴史的な事実で、私たちの信仰の基礎となるものです。主の十字架と復活は、イエス・キリストを信じる「私たちのため」であるばかりでなく、私たちが「イエス・キリストとともに」死んで、よみがえらされている者であることを示すものです。本日、受洗される方々はご高齢ですが、イエス・キリストにあるいのちによって新しい歩みを始められました。復活された主を信じる私たちは、墓に向かう人生ではなく、墓を越えて復活し、永遠のいのちの完成(栄化)に向かって歩むことができるのです。ハレルヤ!


4月27日 中川信嗣師
聖書はすべて、神の霊感によるもので、教えと戒めと矯正と義の訓練とのために有益です。(Uテモテ 3:16)
聖書は世界のベストセラーと言われていますが、同時に聖書ほど無視され、迫害されてきた書物もありません。聖書は私たちに本当の意味での救いを与える書物です。聖書のうちに福音(良い知らせ)が記されているのです。しかし、どんなに良い知らせであっても、聞くことがなければ信じることができません。どんなに良い知らせを聞こうとしても、それを伝える人がいなければ聞くことができません。そして何よりも、その良い知らせを伝えるためには遣わされる人がいなければ伝えることはできないのです。だれを神様は遣わされるのでしょうか。 それは私たち一人一人です。神様はそれぞれにふさわしい場に、ふさわしい働きに遣わしてくださるのです。その派遣に従いましょう。