2002年12月

12月1日
御使いは答えて言った。「私は神の御前に立つガブリエルです。あなたに話をし、この喜びのおとずれを伝えるように遣わされているのです。 ですから、見なさい。これらのことが起こる日までは、あなたは、おしになって、ものが言えなくなります。私のことばを信じなかったからです。私のことばは、その時が来れば実現します。」              (ルカ1:19-20)  
                     (ヨハネの福音書 20:19,20)
今年もアドベントを迎えました。クリスマスまでの四回の主日を通して、主が最初に来られたときのことを想起し、私たちがどのようにして再臨される主に備えるかを学び、信仰と生活を整えましょう。老祭司ザカリヤは神殿で奉仕中に、御使いから救い主の先駆者となる子の親となることを知らされました。これは彼の願いでもあったはずですが、高齢になった自分たちには無理なことと信じることができませんでした。その結果、彼は約束の子が誕生して命名する時まで、ものが言えなくなってしまいました。喜びの知らせを語ることが出来ない現実と苦さを通して、ザカリヤは神の言葉の真実さを証しました。私たちは主を証する言葉の自由を本当に生かしているでしょうか。



12月8日  中川信嗣師
主はこの卑しいはしために目を留めてくださったからです。ほんとうに、これから後、どの時代の人々も、私をしあわせ者と思うでしょう。            (ルカ1:48)
マリヤはエリサベツのところに行って共に喜びを分ち合いました。私たちも、クリスマスを迎えるにあたり、この大いなる喜びを大勢の人々と分ち合うことができるなら、なんとすばらしいことではないでしょうか。大いなる喜びとは、主がよくしてくださった恵みを覚えることによって生まれます。その中心はイエス様が人となってお生まれ下さり、私たちの罪のために死んでくださり、そしてよみがえってくださったという恵みです。クリスマスを自分たちの楽しみとするのではなく、神様を喜ぶ時としましょう。そして、神様がどのような現実をも逆転してくださいます。この世にあって見下されたもの、虐げられているものに必ず勝利を与えてくださいます。このことを待ち望みつつクリスマスをお迎えしましょう。


12月15日 
すなわち、神は、キリストにあって、この世をご自分と和解させ、違反行為の責めを人々に負わせないで、和解のことばを私たちにゆだねられたのです。こういうわけで、私たちはキリストの使節なのです。ちょうど神が私たちを通して懇願しておられるようです。私たちは、キリストに代わって、あなたがたに願います。神の和解を受け入れなさい。神は、罪を知らない方を、私たちの代わりに罪とされました。それは、私たちが、この方にあって、神の義となるためです。                             (コリント第二5:19-21)
 御使いは救い主の誕生を祝って「いと高き所に、栄光が、神にあるように。地の上に、平和が、御心にかなう人々にあるように。」と賛美しました。イエス・キリストは平和の君としてまず神との和解の道を開いてくださいました。それを基礎に人と人との平和を作り出してくださいます。「21世紀は戦争のない世紀に」とスローガンを掲げながら、世界情勢は緊迫の度を増しています。攻撃力と経済制裁の圧力を掛けながら要求する国際社会の正義に対して、生存権と民族の威信を主張して手段を選ばずに反発・反抗するという対立の構図が続いています。神に敵対していた私たちの「違反行為の責めを人々(私たち)に負わせない」で「罪を知らない方(イエス・キリスト)を、私たちの代わりに罪とされた」真の神の愛と赦しの福音を伝えましょう。


12月22日 
イエスが、ヘロデ王の時代に、ユダヤのベツレヘムでお生まれになったとき、見よ、東方の博士たちがエルサレムにやって来て、こう言った。 「ユダヤ人の王としてお生まれになった方はどこにおいでになりますか。私たちは、東のほうでその方の星を見たので、拝みにまいりました。」 それを聞いて、ヘロデ王は恐れ惑った。エルサレム中の人も王と同様であった。 (マタイ 2:1-3)
救い主をどの民族よりも待望し、その到来をのべ伝えるべき神の選民イスラエルの当時の王や学者たちは異邦の博士たちが見た神のしるしを知りながら正しく対応することをしませんでした。主が再臨される時に同じような失態を演じないように、神のことばを正しく学び、時代のしるしにも心を用い、真の王の到来に備えて主への礼拝と献身を日毎に新しくしましょう。

12月29日 
この天地は滅びます。しかし、わたしのことばは決して滅びることがありません。あなたがたの心が、放蕩や深酒やこの世の煩いのために沈み込んでいるところに、その日がわなのように、突然あなたがたに臨むことのないように、よく気をつけていなさい。その日は、全地の表に住むすべての人に臨むからです。しかし、あなたがたは、やがて起ころうとしているこれらすべてのことからのがれ、人の子の前に立つことができるように、いつも油断せずに祈っていなさい。   (ルカ21:33-36)
今年の元旦礼拝では「これらのことが起こり始めたなら、からだをまっすぐにし、頭を上に上げなさい。贖いが近づいたのです。」(ルカ21:28)との聖句を掲げさせていただきました。2002年はワールドカップの日韓共催など国際協調や拉致被害者の一部帰国、二科学者のノーベル賞受賞など明るい話題もありましたが、国際的には無差別テロ勢力との戦いやイスラエルでの民族紛争、大量破壊兵器排除をめぐる対立が続き、緊張の度を増しています。国内的には、構造改革の遅れや長引く経済不況に伴う悲劇、政界・経済界の不正、凶悪犯罪の増加などに心痛めることが多くありました。ヨハネの黙示録などから学んだように、この世は着実に終末に向かっていることを実感します。しかし、私たちには贖いの完成というすばらしい希望があります。私たちだけでなく、すべての人々が再臨の主に会う備えをするために何をなすべきかを祈りつつ、新年を迎えましょう。