2002年10月

10月6日
都の大通りの中央を流れていた。川の両岸には、いのちの木があって、十二種の実がなり、毎月、実ができた。また、その木の葉は諸国の民をいやした。もはや、のろわれるものは何もない。神と小羊との御座が都の中にあって、そのしもべたちは神に仕え、神の御顔を仰ぎ見る。また、彼らの額には神の名がついている。(ヨハネの黙示録 22:2-4)

 ヨハネの黙示録22章は、この書の最終章であると共に、創世記から始まる旧新約聖書全体のまとめの章で、ここには人間の罪によって失われた神様との交わりが回復され、いのちの木への道が開かれ(創世記3:22−24参照)、豊かな祝福に与ることが啓示されています。いのちの水の川は、エデンの園の川(創世記2:10)やエゼキエルが見た神殿からの川(エゼ47:1〜12)、ゼカリヤの預言(ゼカ14:8)などの予表の成就で、主を信じる者が受ける聖霊(ヨハネ7:38)の祝福を象徴しているということもできます。御座におられる小羊に贖われた私たちは、顔と顔を合わせて神を礼拝し、神をたたえる光栄に満ちた祝福の務め(黙示7:15参照)に励むのです。



10月13日  中川信嗣師
イエスは言われた。「わたしは、よみがえりです。いのちです。わたしを信じる者は、死んでも生きるのです。(ヨハネの福音書 11:25)


 今日は使徒信条の中の「イエス様は三日目によみがえりました」ということについて共に考えます。マグダラのマリヤさんたちに続いて、弟子のペテロとヨハネが墓に行ってみると、確かにそこにはイエス様はおられませんでした。ヨハネは見て、信じました。さてイエス様のよみがえりは、私たちにとってどのような意味を持っているのでしょうか。第一に、私たちが義と認められるためであり、第二に、死に打ち勝つことの保障であり、そして第三に今も生きて私たちと共におられるためでした。このことを感謝しつつ、この恵みを多くの人々に伝えましょう。


10月20日 
しかし、その女は来て、イエスの前にひれ伏して、「主よ。私をお助けください。」と言った。すると、イエスは答えて、「子どもたちのパンを取り上げて、小犬に投げてやるのはよくないことです。」と言われた。しかし、女は言った。「主よ。そのとおりです。ただ、小犬でも主人の食卓から落ちるパンくずはいただきます。」(マタイの福音書 15:25-27)

  チャールズ・コーウィン先生は奥様のエロウィズ先生と共に1952年2月にセントラルジャパン・パイオニアミッションの宣教師として来日されました。コーウィン先生は1939年、18歳の時テキサスで開かれた青少年向けの修養会で宣教師への召しをうけました。1945年11月25日、海軍在役中に終戦後処理のため来日、敗戦後の日本の霊的荒廃に心を痛め、軍務の傍ら教会の活動にも参加し、個人伝道にも励みました。三ヶ月間の滞日中に11人の方々をキリストに導きました。「日本に2000名の宣教師を」との呼びかけに応じて夫人と来日したのはその7年後でした。1956年の一時帰国までの足掛け5年間、伊勢崎での開拓を中心に玉村、本庄での伝道にあたり多くの実を残されました。1959年、東伏見で東京ティラナスホールを設立され、クリスチャン学生の育成に当たりました。現在は、アメリカのカルフォルニアを拠点に日本・インドその他のティラナスホールの働きを進めておられます。


10月27日 
それゆえ、私たちに自分の日を正しく数えることを教えてください。そうして私たちに知恵の心を得させてください。帰って来てください。主よ。いつまでこのようなのですか。あなたのしもべらを、あわれんでください。どうか、朝には、あなたの恵みで私たちを満ち足らせ、私たちのすべての日に、喜び歌い、楽しむようにしてください。(詩90:12-15)

  詩篇90篇は「神の人モーセの祈り」と表題がつけられています。モーセの最後については申命記34:7に「モーセが死んだときは百二十歳であったが、彼の目はかすまず、気力も衰えていなかった。」と記されています。本篇の詩人は、まず神の永遠を歌い(1-2節)、次に人間の命のはかなさに触れ(3-6節)、神の怒りの下にある人間が何に心を用いるべきかを歌い(8-12節)、最後に神の憐れみを願い求め、苦しみの前半生に対して喜びの後半生を願って詩篇を締めくくっています。人間が労苦と空虚さの人生を歩むのは創造者である神への反逆と不信仰の結果です。生かされていることの恵みを感謝し、使命感を持って生きるために、自分のいのちの長さや測り方についての知恵が必要です。「いのち長くして恥多し」とならないように祈りましょう。